日本財団 図書館


は弁護士さんも、一切関与しない。単に、政治家と行政だけが関与している。そして、突然できた法律を、裁判所などを使って問題化する。ここで初めて、いわゆる法律家といわれる人たちが、やっと活躍できるわけです。しかし、大体の法律が、すでにある程度の手が入ってしまっていますから、裁判で問題解決するまでの、残りの5から10までの間では、すごく限界があるわけです。アメリカなどでは「法と経済学」という考え方があります。アメリカは、私がロースクールに行っていたときにも教えられましたが、ある問題を解決するために、訴訟を通じて解決しようというインセンティブが、コスト的に見合うのかどうかという議論をきちんとやっているわけです。日本の場合は、それ以前の問題で、そんなことは、素人でも見合わないということがわかる。一応コスト計算をしてみようかという気になった人がいれば、してみればいいと思いますけれども、非常に惨澹たる結果になるだろうと思います。

次に、最後の4のところにいきまして、「法治国家としての意識の必要性」についてです。

(1)は、よくアメリカなどでも議論に出てくる言葉を挙げてみましたが、例えば、no transparent、不透明さということとか、irregulation、これは規制撤廃という言葉で、規制緩和ではないという議論もありますが、一応日本語の訳として、規制緩和。それから自己責任。このような言葉はマスコミでもしばしば騒がれ、あるいは外国にも言われています。

こういう言葉は、実は突き詰めてみると、全部法律と関係している言葉なのです。行政が不透明、あるいは、日本の経済界の企業の活動が不透明、こういうものは、本当は法律で情報公開について規定する、あるいは法律が、行政指導的なものが法律の枠組みできちんと行われているのかチェックするという機能を果たさなければいけないものが、何も働いていないという意味での不透明さなのです。規制緩和については、日本人は、規制という言葉を、突然ネガティブのようにして、拒絶反応を示すようになりましたけれども、もともと規制というのは法律なのです。別に規制緩和されたからといっても、必ず規制は残ります。それは日本人がイメージしている規制ではなくて、法律としての規制は残るわけです。それが、日本のように、時代にミスマッチした規制が残ってもらっては困るのだけれども、新しい時代にあった規制は残るのです。つまり、撤廃であろうが、緩和であろうが、新たな法律を設ける、あるいは既存の独禁法のような法律を機

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION