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それから、陪審制度、参審制度。これも賛否両論ありますが、ここでは一言だけ言っておきたいと思います。

陪審制度は、みなさんO.J.シンプソン裁判などで、非常にネガティブな意味もお分りになったかと思いますけれども、もうひとつ参審制度というのがありまして、ドイツなどで行われており、一般の市民が、裁判官と一緒に合議しながら、判決を出すというシステムです。つまり、裁判官が指導して、陪審が最終的に判断するというのではなくて、裁判官と、陪審にあたるような、選ばれた市民の人たちが一緒になって判断するのです。陪審制度、参審制度に何の効果があるかと言えば、市民が裁判所を身近に感じるということです。これが最も大きな意義であって、陪審制度、参審制度について、その善し悪しを延々と議論しますけれども、それをやればやるほど、国民は裁判所から遠ざかってしまうのです。

アメリカの人たちでも「私は裁判所に行って、陪審をやってきたんだ」と言うと、自分が何かがあったときに、あの裁判所に行ってみようかと思えるわけです。私も法律をやりながら、自分が裁判所のお世話になったことはないのですけれども(笑)。私でも、行くのがなにか恐い。何から始めたらいいのかわからない。慶應の法学部で民法や刑法をやられている先生の中に、面白い方がいます。具体的な名前は挙げませんが、食事をしているときに、「友人がちょっと民事的な契約で悩んでいるのですが、聞いていただけませんか」と言うと、理論的に意見を言ってくださるのです。しかし、「裁判になったら最初に何をやればいいのですか」と言うと、その先生が突然止まってしまうのです(笑)。「いや、何をすればいいか、ちょっとよくわからない」(笑)という話になるわけです。つまり、学者も全く親近感がなくて、裁判所に行くために最初に何をすればいいかと言われたら、そんなこと初めて聞かれたというような世界がある。

司法の問題は、一言で言いますと、裁判所は非常に小さく納まってしまっていて、われわれの目から見ても、存在しているとも思えないようなものになってしまっているということです。それが三権のうちのひとつの権力で、日本の現状では唯一の対抗できる権力であるにもかかわらず、このような状況がある。これはもとを正せば行政が法であるという問題からきていて、個々は推測の域を出ないので、あまり偉そうなことは言えませんが、もし行政が、自分たちの手で法律の紛争解決をやることに対する彼らなりの納得があるとすれば、当然司法に大きな予算をつけたり、司法に行政と対抗するような

 

 

 

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