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分立はなかなか成り立たないということになります。

3番目にいきますけれども、国の小さな司法政策について、これは少々大胆に書いてしまったのですが、現在、国家予算の約0.4パーセント、金額にして約3,000億円というのが、裁判所等に割り当てられる金額です。これは独立した大きな権力としては非常に少ない。そして、法律へのアクセスが少しでもできるようにと行われる法律扶助事業の予算も年間2億円弱にすぎないのです。こんなに金額の少ない世界ですから、われわれが司法というものをほとんど認識しないのも無理はないかと思われます。

司会者 すみません、この3,000億というのは人件費が入っている総額なんですか。

田村 それは少し後でいいですか。

それから2の(4)で「司法へのアクセス」ということで、この辺はいろいろと難しい問題がありまして申し訳ないのですが、一言でいきたいと思います。

まず、損害賠償が不十分ということに対して、ひとつの考え方として、懲罰的な損害賠償を加えたりすることによって、何とか正義を果たそうという考え方があります。日本は大陸法から、その辺のところを、杓子定規に解釈する世界があり、賠償は当然損害の生じた分だけ賠償するものだという観念がものすごく厳しくあります。それはそれで、ひとつの理屈としてはわかるのですが、へたをすると、やはりやり得のような世界が起ってしまう。つまり、損害賠償の額を、いくらがんばっても元の分しかとれない。多くの場合は十分証明できないから、それ以下しかとれないということになると、これは悪いことをした方が得ではないかという風潮が出てきてしまうわけです。

それから、クラスアクション、選定当事者制度というのがあります。例えば、企業が行うカルテルの結果は、個々の消費者にとっては50円、100円の世界の話で、こんなもので訴えてくるかというと、個々の当事者は当然訴えてこない。例えば、洗剤がカルテルで値段が高かったとしても、個々の主婦は一ヵ月たかが100円損をしただけかもしれない。しかし、それを全部合わせればすごい金額になる。こういうものに対して、もう少し訴えられる道が整備されなければいけない。後でAさんにも補足していただきたいのですが、アメリカにおいてはクラスアクションを認め過ぎたことによるマイナスの問題がありますから、この辺のところは、選定当事者制度といって、ある程度当事者を画定しながらやっていくシステムでいいのかなと思うのですけれども、これもまだ、なかなか認知されていない問題です。

 

 

 

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