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行政手続法では、行政が法であるという問題が、日本社会の中心にあり、この行政に対するひとつの対抗手段が、行政の手続きをきちんと整備することだということで、ここの資料の3で書かれたことがいくつか整備されました。

ただ、いかに本音と建前があるかというところだけを、あえて取り上げて説明させていただきますと、まず決定的な問題は、行政指導は、もともと存在していなかったはずのことが、一種の慣習のようなものとして、事実上この日本社会に存在した。法律家の中には鋭い方々がいまして、法律の上で行政指導と書いてしまうことは、行政指導を認めることになるから書いてはいけないといって、反対する人たちもいたのです。しかし、日本社会は「行政指導」と当たり前のように言っていますから、行政指導が問題だから行政指導のことを書いて、それをコントロールするしかないという流れの方が強く、気がついたらこの行政手続法の中で、行政指導という章を設けて、延々と「行政指導とは」と定義してある。これで事実上、この社会は行政指導を認知してしまったわけです。これがひとつの問題。

さらに、資料3の2のところの「注目すべき点」の「行政処分」の下に「行政指導について」というのがありますが、その2行目の、「行政手続法の中で最も重要といえるのが行政指導の“求めによる文書化”」です。ここでの最大の問題は、求めなければ文書化してくれないということです。皆さんもたぶん聞いていらっしゃる話だと思いますが、行政指導を受けた場合に、今の行政と民間の関係で、「あなたが、今指導したことを、紙に書いてもらえますか」などということを行政に言えるぐらい民間が強ければ、最初から行政指導など受けないわけです。「行政指導は全て文書化すること」というように法律で規定すれば、行政指導を認知した意味はまだあったのです。しかし、これも議員立法ではなくて、行政が作った法ですから、求められたときにしか文書化する必要はないということで、行政手続法は実際には使えないように、実に巧みに書かれているのです。

努力義務といわれるのですが、行政の指導や、行政が行う処分に対して、極力努めなければならないということが規定に書いてあります。何をするにしても、行政側は、努める、つまり努力するだけでいいということが書いてあるのです。昔からこのBさんたちは日米教育で嫌な思いをされていますが、これは「善処します」といったのと同じで、努力はしたのだけれども、結果は変わらないという世界があるのです。

 

 

 

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