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はなかった。もしアメリカに強要されたというのであれば、それは日本側が、その後50年近くあったわけですから、自分たちの哲学をもって変えればよかったのです。しかし、ごまかし、ごまかし、たてまえ的には、われわれはきちんと競争はしていると言いながら、運用を手控えることによって、結局法律は存在しているが、現実にはほとんど何もしていないというような、およそ国際社会で評価されるようなことはしていなかったのです。

数年前にアメリカのそういう批判を受けて、資本主義国家として、例えば企業間の公正かつ自由な競争を行なわないというのはどういうことか、強化しろという話を受けて、私はこの分野の専門家としてまだ駆け出しですが、やり始めて、いよいよ日本はこれで変わるのかと期待したわけです。

ひとつのターニングポイントである91年の構造協議を受けて、日本の独禁法は強化されたという答えを出しました。そして公取は強化された、運用するといっているのです。しかし、実はその後、約7年経っておりますが、最近談合カルテルのニュースを聞かれると思いますけれども、実は専門家からみると、それはまさに象徴的な運用であって、見えるところで「やってますよ」と言っている程度なのです。本当に競争を確保しようという意識でやっているかというと、これはまた別問題なのです。

それは何かというと、話が多少飛びますけれども、最近日本ではつぶれないと思われるような企業がつぶれるという現象が起きている。これは、実は本来資本主義は、競争の結果、新たに入ってくるものもいれば、退出するものもいるはずなのです。しかし、日本社会は、基本的に退出を認めようとしなかった。ということは、競争を否定している部分もある。つまり、実際にはやりたくないことを、表向きはやっていると国際社会に宣言している。その矛盾を何とか内部で吸収しようという、非常に無理なことを繰り返しているわけです。

それは結局、日本人は自分たちの長い間やってきた、あるいは、なれあいの中ででき上がっている世界があって、法律を本当に法律としてとらえるというよりも、法律は一つのたてまえ、対外的に示すもの、または、なれあいではどうしても解決できないときの、最終的な手段としてしか使おうとしてこなかった。その結果、でき上がってしまったシステムは、この社会においてほとんど法律を機能させない、または、させようと思ってもさせることができないというようなシステムになっていた。その点について、今

 

 

 

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