の意。モンゴル自治州にもかかわらず、モンゴル人は州全体で5万人、市内で1万人と少ない。州の人口構成は、漢族60%、ウイグル族35%、回族4%、モンゴル族0.6%。清朝時代の1771年に、途中、多くの病死者が出るなどの難儀をしながらモンゴル人がボルガ河のほとりから移住してきたことを清朝は讃えた。後に州名にモンゴルの名が付く。州の面積は、中国の全州の中で一番広大である。
1) 鉄門関
コルラの北部、孔雀河の上流、14?に達する渓谷の出入り口で、3世紀、晋の時代に設けられた関所。古代からタリム盆地へ入る重要な通路だった。渓谷の隘路にある関所の堅固さから、鉄門関と称された。両側は岩壁である。
2) 庫爾勒周辺の故城
コルラには、唐代のユイズガン(玉子干)故城、ヤンタカシン(羊達克沁)故城、シャルランタン(狭爾乱旦)故城の3つの故城が残っている。どれも崩れ去って原型をとどめていない。今回の調査では市の南西10?にあるユイズガン(玉子干)故城を視察した。周囲は約1,020m、城壁はほとんど崩落している。
3) 庫爾勒博物館
オフィスビルの5階・6階にある小規模な博物館。楼蘭とバイングルモンゴル自治州内の発掘物(チェルチェン遺跡からのミイラ5体他、葡萄獣面鏡など)が展示されている。
4) ボスタン(博斯騰)湖
中国内陸最大の淡水湖で周囲に小湖群が形成されている。面積約1,004?2で(琵琶湖の約1.5倍の広さ)、標高1,048m、最深17m。湖では漁業が行われている。湖岸に群生する良質の葦は造紙原料に利用されている。
? 庫車
クチャは、天山山脈の南、タクラマカン砂漠の北側の標高1,100mの高原にある。シルクロード天山南路の古くからのオアシス都市。人口は周辺を含めて36万人、市内は10万人。ウイグル族87%、漢族3%、その他10%。古代より政治面のみならず文化面でも高い評価を受け、特に音楽では西域の代表的音楽「亀茲楽」としてその名を知られ今に至っている。玄奘三蔵法師も2ヵ月、滞在した際に、クチャの歌舞を激賞している。また、「果物の古里」としても知られ、杏、葡萄、胡桃、石榴、西瓜などを産する。
仏教文化が栄え、周辺にキジル、クムトラ、クズルガハなどの多くの石窟寺院が広い範囲に存在する。中国仏教に多大な貢献をした名僧、鳩摩羅什(344〜413、長安で仏典の漢訳をした大功労者)の出身地でもある。漢代にはすでに亀茲と呼ばれ、天山南路で最大勢力であったが、のち匈奴の支配下に入った。後漢時代には班超が亀茲を降し、西域都護府を置いた。7世紀半ば唐に滅ぼされ、亀茲国は滅亡した。9世紀半ばにはウイグル人の勢力が強くなり亀茲回鶻と呼ばれた。その後も仏教が栄えていたが、やがてイスラムの影響下に入った。
1) キジル(克孜爾)千仏洞
クチャから約67?にあるクチャ地域最大の石窟群。ムザルト河北岸の断崖に、南北朝(4〜6世紀)から唐代(8世紀)にかけて、造営した仏教石窟で、東西長さ約2?におよぶ。236窟(172窟が仏殿、64窟が僧坊)が確認されており、その中の135窟は、窟自体がほぼ完全な状態で保存されている。その中、7つの石窟が公開されている。236窟の