中、壁画があるのは80窟。1985年に自治区の文化庁により亀茲石窟研究所が設立され、石窟群の麓にレストラン、士産店を併設した研究所の建物がある。
千仏洞内部の壁画他の保存状態は、敦煌莫高窟と異なりイスラムの侵入のため壁画の人物の目鼻は削られ、塑像は残っていない。また、20世紀初頭の探検家により壁画のかなりの部分が剥ぎ取られ本国に持ち帰られている。壁画の内容は、本生、因縁・仏伝・供養などの仏教故事、様々な仏教人物画、裸体人物、山水・動物など多様である。その他、古来有名な亀茲楽との深い関係が見られる鮮やかな色彩の伎楽や舞伎などの音楽に関するものが多い。
主な石窟の壁画他のポイント:「 」内の名称はドイツのグリュンヴェーデル(1902〜1903年、ドイツ・トルファン探検隊の隊長)による

2) クズルガハ(克孜爾朶哈)千仏洞
塩水渓谷断崖に開削された唐代の石窟。全部で46窟あり、そのうち、保存状態が良いのが38窟ある。壁画の残っているのは11窟。
主な石窟の壁画のポイント:
[第30窟]左右の壁画に8つの釈迦説法図が描かれている。後室の天井の長方形の格子の中に、宝冠をつけた8体の飛天が向かい合って飛翔し、琵琶、笛や笙を持ち、音楽を散華している(散華の飛天)。
[第32窟]壁画は、20世紀初頭の探検家に剥ぎ取られて何もない。石窟の造営に、トンネル(アーチ)型を取り入れ、天井は6層の「三角隅持ち上げ送り天井」(ラテルネンデッケ)の構造になっている。この方式の天井は、今でも中央アジアの民家に見受けられる。6層目の一番小さい正方形内に、満開の蓮の花が描かれている。
3) クズルガハ(克孜爾朶哈)烽火台
クチャ市の西約12?、川床が塩で白くなっている塩水渓谷の一角の高台に、今でもそびえ立つ高さ16mの土で築いた漢代の烽火台。14.5?おきに築かれ、情報伝達の役をした。これは最も古く、保存状態の良いものの一つ。ウイグル語でクズルは「娘」、ガハは「留まる」の意。永年ここに匿われた王女が、ついに僧侶の差し出した林檎に潜むサソリにさされて命を失った伝説に由来する。