のことを諸悪の根元として論じないんですよね。
イギリス人がなぜそういう産業社会から次の転換ができたのか、価値観の転換がある程度スムーズにいったのかというと、これは多分真ん中の頑張る階級といいますか、どの社会にも頑張る人と頑張らない人がいるわけですが、イギリスには我々が思っている中流意識ではない中産階級というのがものすごい頑張り屋なんです。中産階級というのは何かと言いますと、学生たちに講義のときにもこれだけを考えていたら十分だからと言うんですが、中産階級というのは人から見られていることを気にする人たちの集まりなんですね。
先ほど神崎さんは集団の癖という言葉で文化を定義なさいましたけれども、それでいくと人から見られることを気にする人たちが中産階級という1つの大きなグループをイギリスの中で形成している。人から見られることを気にしますから、自分がどうあればいいかとか、どうしたら人からちゃんと見られるかという、今の日本がなくしつつある、ある部分ではなくしてしまったような礼節とか見識とか良識とかいうものを、社会の見張り番的にがちっと押さえる人間たちがいたんです。
彼らが、例えば先ほどオープンスペース運動とかナショナルトラストという言葉を出しましたけれども、不便がいいとか田舎がいいとか、広くスペースが空いているところがいいとか、都市というのはもともといろいろなものを詰め込んできたのですが、空いていることがいいのだという新しい価値観を生み出してきた。その背景には、彼らが労働者たちの生活を改善しようとした動きがあったのですね。人から見られることを気にするわけですから、ものすごくお節介、中産階級というのはものすごくお節介なんです。
そのお節介な中産階級が彼らをなんとかしてやろうということで始めた運動が、オープンスペース運動であるとか、共有地が私有地にならないように、だれもが入れるように開けておくとか、都市の空間をあける運動ですね。そういうことをやったものですから、その当時は半分ありがた迷惑だった人もいたかもしれません。所有権の問題もからみますから。今考えればイギリスの現在を大いに支えるそういう文化資本になった。
つまり文化資本なり観光資本、あるいは文化とは何かという問題も、結局それをだれが文化と見るか、あるいは意識するかということ。本来だったら一致すればいいのですが、文化と見てほしい。けれども文化と見られない場合もあるでしょうし、あるいは思いがけないところに発見もあるでしょうし。
イギリスの場合は見ていますと、どうも思いがけないところから発見していくというか、発見するためのキャンペーンをいろいろなところで張っていっていたなと感じます。小説とか歌、音楽ですね。端的な例が、グラスゴーという造船の町です。私がやっている時代のグラスゴーは造船業と石炭、それから鉄鋼というものの完全な産業社会の町、産業都市です。20世紀前半は軍需産業ですから、軍艦と武器で生きてきた町です。
それが1990年に、ヨーロピアン・シティ・オブ・カルチャーというヨーロッパの文化都市に、大体持ち回りで決まるのですが、それに選ばれるそのプロセスで、先ほど神崎さんがおっしゃった自文化というもの再発見を徹底的に行っていったわけです。
80年代といいますと、ちょうどサッチャーさんが79年に政権につきますから、サッチャーリズムによって地方の行政がとことん骨抜きされる時代ですね。地方の行政が骨抜きされてロンドンー極集中していく。経済的にもロンドンなしでは生きていけない。じゃあ自分をどこで示すかというときに、産業ではないことで示すしかないということを、徹底的にこのグラスゴーという町もやるんです。
今グラスゴーにはメイフェストというフェスティバルがあります。これがエジンバラ音楽祭に次ぐイギリス第2のフェスティバルに今はなっています。メイですから5月の初めから3週間ぐらいやるんですが、ものすごい数の観光客やアーティストが訪れます。また現実に、このグラスゴーの町からも音楽のアーティストがたくさん生まれています。無理に生み出しているというところがありますが、現実にスターになっていっているんですね。
つまり私がイギリスの例として、ある価値観の転換であるとか、観光とか文化を考える場合に一言言うとしたら、自分の町の特性をどこまで知るかということだろうと思うんですね。グラスゴーはスコットランドの町ですから、近くにエジンバラというかつての部である大きな町があります。エジンバラは中産階級がたくさん暮らしていますから、サービス業が多いんです。ですから産業でもサービス業を活性化することで生きていけるんです。ところがグラスゴーは先ほど言いましたような産業が20世紀前半に至っても生きていたわけで、労働者階級が圧倒的に多く住んでいる町なんですね。当然いろいろな産業上の不景気もこの町はまともに受けます。
だからこの町が生きていくにはどうしたらいいかということで、徹底的に自分たちの過去の洗い出しをやって、その結果、産業革命のときの遺物みたいなものを、先ほど高田さんから話が出た生産の手段を見て楽しむものにしていくという、これをグラスゴーも徹底的にやったんです。アイアンブリッジという有名なのがありますね。これはグラスゴーではありませんけれども。鉄の橋を保存するということをイギリスはやっているわけです。産業革命時代、産業が中心になった時代に生きてきたものを、ポスト産業社会に見せ物にしていく。見せるということはサービスであり、消費に変えていく。それをグラスゴーという町も徹底して見せていったわけです。これは全部ただです。
この町はマッキントッシュという建築家が生まれた町で、ここのアートスクールのグラスゴー・スクール・オブ・アート、ここが建築の拠点でもあるんですが、その建物の中も自由に見学して見せてもらえます。「産業社会」を逆に次の時代に保存していったという、高田さんがおっしゃった、それ