特に観光政策としては、今日のテーマのもう一つの大きな伏流にありますところの「ウェルカムプラン21」があります。ウェルカムプラン21というのは、海外から日本に来る人たちに気持ちよく日本文化に馴染んでもらうという、それの仕掛けであります。海外から日本へ来る人たちをどうもてなすか、それを考えようということであります。
運輸省の観光政策の中に柱が3つあります。ウェルカムプラン21が1つ。それからもう一つは祝日の変更であります。具体的に言うと、成人の日、海の記念日、敬老の日、これを月曜日にもっていく。となると土日月と親も子も一緒の休日ができる。ということで、2泊3日の国内旅行が活性化するのではないか。それからもう一つは観光学、あるいは旅、人間の移動、そういうことをテーマとした専門の大学を作る。観光学大学の設立です。
この3つが運輸省の観光政策審議委員会が昨年の6月に答申した柱だったと思います。
観光学大学も大事なのでありますけれども、自分たちの文化をどれだけホステス、ホストとして訴えるかということの教育は、私はもうすでに幼児教育からなされなければならないと思います。その仕掛けをいかに文部省側に働きがけるかというのが問題だと思います。
高 田: 私は冒頭の話で日本に魅力がないのは、かなり日本の国家レベルの政府の責任だという論調で話をいたしましたけれども、翻ってみるとそれは我々自身に魅力がないのだという、我々自身への評価として返ってくるのかもしれない。
実はそのことが、こういう話題になったときに、「尼崎は近松の墓があるからええけど、うっとこはなんにもあらへん」と、必ずそういう話になって返ってくるわけです。それに対して今日はお二方とも、広野さんは先ほど人を呼ぶことを考える前に、まず自分たちが深しめるようなものを見つけることが大事だと。そして今、神崎さんは自文化に対する理解がないところに、極端な言い方をすると、他文化の人が魅力を感じるはずがなかろうと話されました。
実はこれは第二次世界大戦後、非常に顕著になった日本の潮流であるわけですが、翻って考えてみると、明治時代から同じようなことをやってきた。鹿鳴館はもうやめようというわけであります。というのも、鹿鳴館というのは明治初頭に東京に建てられた外国の文化を受け入れるための窓口であります。優れたもの、すばらしいものは日本にはないのだ、しかしニューヨークにあるかもしれない、パリやロンドンにはきっとある。だから外国から様々なものを学ぼう。学ぶことは大変結構なんですが、いつの間にか、もっぱら価値あるものは外にある、遠くにある。もっとも文化とかそういうものに関しては、遠くにある方がありがたいという面があります。
皆さん方の企業やお役所でも、まさか隣にものすごい、すばらしい人が座っているとは思わない。机を並べていたら、まあどんぐりの背比べだろうと思っていたら、その人がなにか外でどえらいことをやって、「あいつ、そんな才能があったのか」と言って、外で評価されて初めてわかるというようなことがしばしばであります。そのことを昔の人は「医者と坊主は遠くにいる方がありがたい」というような言葉で表現したのだろうと思います。
さあここでイギリスなんですが、実は19世紀のイギリスというのは、フランスやイタリアからはいつもばかにされ続けてきた国であったわけです。フランスにイギリス人が旅行にやって来ると、団体で行儀も悪い。ただ産業革命を一番に興したというので多少金は持っている。しかし品はない、というふうに評価されていた。そのイギリスがなんでまた世界のジェントルマンの国になってしまい、今やしっとりと落ち着いた生活をしようと思えばイギリスに出かけていがなければという風潮になってしまったのでしょうか。彼らはどうして自らの文化を理解したのか。あるいは自らのありようというものの価値を見つけたのか。難しい問題なんですが、井野瀬先生とうですが。
井野瀬: 一言で言うのは非常に難しいんですけれども。
高 田: 何を聞いてもしゃっと答えてくれはるので、そういう難しい問いをしているんです。すみません、どうも。
井野瀬: いえ、とんでもないです。そんな話は聞いていなかったので、これはかなり大きな問題で、これを解決できると多分日本の未来も見えてくるような気がいたします。
直接それに関係していくかどうかということは別にして、いくつか思いつくままポンポンと話をさせていただきますと、まずイギリスは階級社会です。日本もかつては階級社会だったんですが、うまい具合というか、変な具合にそれが解体して、1億総中流意識といいますか、大衆化といいますか、そういう流れに今なっているんですね。
先ほど神崎さんが日本の教育云々ということをおっしゃったんですが、「私はイギリスをやっています」と言いますと、それだけでイギリスというフィルターをかけて日本のことが言えるという、直接日本のことを言わないで、一巡イギリスのことを回って日本のことを言う、オブラートがかかったような言い方ができるので、得なんです。つまりイギリスをやっていると、日本の悪いところがいっぱい見えてくるんですね。
その見えてくる1つというのが、先ほど神崎さんが日本の教育というのが自分たちを卑下するような教育にもっていったのじゃないか、自文化を見えにくくしている部分があるのじゃないか、つまり誇りが持てない方向にいってしまったのではないかとおっしゃいました。多分イギリスの場合は、先ほど言いました階級の存在があると思います。日本で階級を論じますと非常に悪者されるんですが、階級というのはある意味で分がわかっているということなんですね。イギリスの階級の話をすると長くなるんですが、決して上に上れないというわけではない。ただ自分の分はここまででいいというある目的設定ができるというので、決してイギリス人は階級