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れを今現代にどうつないでいくか、メンテナンスしながら今自分たちがどう感じていくかということ。そのことをやらなければ、人を呼ぶ町にはならないだろう。そういうことを今日はお話しさせていただこうと思います。

 

高 田: 冒頭に神崎さんは、どこかを訪れたら手みやげというか、そこに何かを残すような旅の仕方を我々はするべきなのではないか、というような話をなさいましたね。

そのときに、先ほどは石川さゆりの話が出ていましたが、僕は石川さゆりさんも好きですが、都はるみの大ファンなんです。『涙の連絡船』を思い出しました。「惚れちゃならない都の人に」一帰って来ると言うけれども、ちょっとも帰って来ないじゃないかという、そういう恋の歌です。ちょうどこれは日本の高度経済成長華やかかりしころの歌です。人々がまだ首都東京にあこがれていた。そのあこがれの地から旅人がやって来て、好きになった。「また来るよ」、嘘ばっかりやないかと。

実はそういう旅の仕方というのが、高度成長期以後ずっと我々の旅の仕方で、旅先で何かおもしろい体験があったら、旅の恥はかき捨てというのはひどい言葉ですがそういうことが多かった。けれどもやはり何か残していこうと。

今の広野さんのお話は逆に、迎える側も我々の町や村にはこういうものがあるんですよ、ということを訪問者に対して提示しよう。そういうやり取りが旅、あるいは観光の中身なのだろうと思います。

神崎さんは先ほど訪問する側のお話をなさったわけですが、逆に自分の町以外のところから人にやって来てもらおうと思ったら、その町特有のいいものを差し出す必要があるという広野さんのお話にからめて言うと、「地域文化の活用」という硬い言葉になるのですが、そういうお手本あるいは事例を紹介していただけませんでしょうか。

 

神 崎: はい、時間的な問題もあって、ホスト・ゲスト関係双方両得のゲストの立場を言いましたが、広野さんがホストの側からフォローして下さいました。そういう好ましい両得関係がいいのですが、もう一つ具体的な事例に入る前に、文化とは何かということを考えたいのです。

私は民俗学をやっているのですが、これは時代を経てなお普遍の連続性を持つ風俗習慣のたぐいなどと言いますが、そんなややこしく考える必要はない。私は集団社会の「癖」だと思います。ある集団社会が同じような癖を出した文化である。それは言葉を発する癖もあるし、音楽を奏でる癖もあるし、あるいは目に見えないものを考える癖というものもある。当然生活の立て方に関係する癖もあって、そこへ家の作りとか道具の仕立て方という癖が出る。すべてこれをその地域の文化と考えたらどうかと思うんです。

一番大きな集団社会が民族という集団社会であります。私たちはこうした自分たちの癖、あえて「自文化」と言います。自文化に対する理解、あるいは誇りを戦後の教育の中で極端に捨てたのじゃないでしょうか。それで一方で、戦後の教育というのは、西欧の文明社会を非常に讃美してまいりました。そして、バブルの経済に乗って海外旅行が盛んになりました。そうすると、異文化を理解するということに対しては大変目が開けたわけであります。つまり異文化理解をするのに反比例して、自文化理解ができなくなった。それが今の日本の、つまり海外旅行には出るけれども、日本に来る人を迎えにくい。高田さんは文化資源に魅力がないとおっしゃったけれども、私はやはり人間にすべて起因すると思います。私たちに魅力がないのです。

その魅力がないことの1つは、異文化を理解するということに対しては、つまりカタカナ文字を駆使することが偉いと錯覚している。しかし足元に対して何ら評価をしないどころか、自虐的にそれを足蹴にしてきている。戦前の皇国史観があまりにも反動的に偏ったので、それに対する反省と言えばそれまでなのですが、しかしやはり…。

例えは我々が今ホームステイでアメリカやイギリスから、あるいはアジアから人を迎えるとしますね。そうすると私も何度か私の郷里の岡山の美星町というところヘホームステイのゲストを迎えるわけです。まず最初に疑問を出されるのが、奥の間に通しますと、私の家には神棚があります。私の家には仏壇がないのですが、一般的には神棚があって、仏壇があります。同じ部屋でなくても、1軒の家の中に神道と仏教がある。宗教として別のものだと考えれば大変なことなのであります。世界の常識ではおよそ理解が難しい。質問が出る。「なぜ神様と仏さんが同居しているのですか。あなたの家族は神道ですか、仏教ですか。あなたの子どもさんは生まれたときに宮参りをした。結婚するときにキリスト教で洗礼を受ける。死ぬときは仏教でお葬式をする。どうしてですか」と。

これはへたをすると宗教戦争が起きるような問題なんですね。我々は何と答えますか。昔からそういうことをしていたのだでは納得してもらえない。そういう足元の問題を答えない限りは、人間関係というのはちっとも深まらない。相手の文化を理解すると同時に、自分の文化をきちっと認識して、それを理解してもらうように努めるということが、私は地域文化の活性化のまずもとであると。

それからついで言いますけれども、地域文化をてこにして観光開発をしようとしたときに、私は運輸省と農水省、あるいは運輸省と自治省の政策協議も大事だと思います。観光部は日本では運輸省に有るのですから。しかし私はどうしてここに文部省が関係しないのか不思議なんです。観光行政というのは文部省との連携が大事なのじゃないでしょうか。週休2日になります。学校教育の中でそのあいた日をどうするかというと、やはり地域学、あるいは郷土研究のようなことを目ざめさせなければいけないのではないでしょうか。

もっと言いますと学校教育の中で世界史を理解させるような教育と同時に、日本史を正当に評価する。それがない国というのは、やはりこれはおかしいのではないでしょうか。

 

 

 

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