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倒的に上回っていたわけです。それが今では完全に逆転してしまっている。

これを変えるには、つまりこの原因は日本に魅力かないからだ、と高田先生はおっしゃいました。答えは簡単、日本に魅力がないからだ。じゃあ魅力を作ればいい。魅力を作ればいいのだけれども、これは小手先だけのことではもうだめだということもおっしゃいました。私もそのとおりだと思います。

国政というものとからまるとあまりいいことは起こらないようだというようなことも、私自身が思っていることですが、実はイギリスという国は国政がからまってある意味でだめになり、ある意味で逆に地方というものがクローズアップされた時代、これがサッチャー時代です。サッチャーさんという人は地方の政治を徹底的につぶしまして、中央集権化、ロンドンヘの一元化を図った人ですね。

それに対して今起こっていることでは、この間ブレアさんが選挙で勝ちました。これは日本でイギリスという国について、政治を見る1つのおもしろい目になると思います。労働党のブレアさんがこれからいろいろやっていくと思うんですが、でもサッチャーリズムといいますか、サッチャーさんの路線をあまり崩さないようです。

サッチャー政権時代以来、地方はロンドンヘの依存度を高めるなかで、地方に産業を誘致することではもはや地方の復権は望めないということをはっきりと認識しました。地方がロンドンと対抗していくためには―いや、ロンドンだけではありません。今イギリスを含みますヨーロッパ諸国でEU、ヨーロッパ連合という壮大な実験が行われております。国境を取っ払った壮大な実験です。この中で繰り広げられる都市の時代、各都市が各部市に、世界中にプレゼンテーションをしていく時代。その都市の時代に各都市が生きていくためには、自分たちの文化資本、まさに文化が資本なのですが、それをなんとかしなくてはとイギリスの地方は必死でやっております。

その意味で、産業的にはイギリスにはもう見るべきもの、学ぶべきものはなくなったわけですが、どうもイギリスというところから目が離せない部分がまだある。

私自身がこれからの議論の中で皆様と話をからめながら具体例を出していきたいと思うのですが、最初に1点だけ今回のこのシンポジウムの中で強調しておきたいことは、小手先だけでは日本の魅力は作られないということと関連して、イギリスは今産業がだめになっても文化、つまりその文化を資本とした観光で国としてなんとがやろうとしている。6%の成長を観光面ではいつも続けているわけですが、そのイギリスがなぜ観光で生きていけているのかということを考えますと、イギリスが産業社会から別の社会に移行するときに、イギリス社会全体が価値観を変えて観光、文化というものにスライドしていった。

この価値観がどう変わったのかというとこれは簡単でして、それまでの例えば18世紀の時代を見ていますと、都市礼賛といいますか、都市というのはすばらしい、都市の雅びというのが強調されるわけですが、そうではなくてすばらしいのは田園である。本当のイギリスはカントリーサイドにある。これが小説、詩、あるいはナショナルトラスト運動に続く、あるいはオープンスペース運動に続く、19世紀後半に高まってくる様々な運動とリンクいたしまして、都市はだめだ、田舎がいいという新しい価値観を生み出したことです。

日本での田舎を見る目と全く違うことが意図的に生み出されていった。コッツウォルドという丘陵地域は今でもイギリス入や、それから世界中から観光客を集めている田舎地帯ですが、不便がいい。コッツウォルドというところは鉄道も通らなかったんです。非常に不便なところなんです。経済成長の真っ最中の時期、そこを不便なままに留めておいた。不便がいいのだという新しい価値観を作ってしまえばいいと。そういう価値観の転換を伴って、今のイギリスが食べていけるような文化資源、観光資源が蓄積されていったということです。

文化資本とか観光資本とかをどういった形でストックしていくかというときに、小手先だけではだめだというときに私が思いますのは、価値観を変えなければいけないということです。今まで認められなかったもの、あるいは見過ごされてきたもの、それを掘り起こして、それがいいのだという新しい価値観を与えることこそ、文化を資本に変えるときに求められていることではないか。それもイギリスの場合は、これを行ったのは地方のボランティアたち、地方の人間たちが自分たちの魅力づくりということをやっていったわけなんです。それが今のイギリス、衰退国家と言われて久しい国家のイギリスを支えている。イギリスという衰退国家の今の姿というのは、案外と我々がこれからどうすべきか、何で日本は生きていくのかということを考える上で、良いといいますか、あるいは反面教師のモデルになり得るのではないかと思います。

 

高 田: 今、価値観の転換がイギリスで起こったとおっしゃったんですが、これはいつ頃そういう現象が起こったと考えればいいんでしょうか。

 

井野瀬: 伝統は作られるものだという、そういう議論が人類学、歴史学の中でありますが、いつ新しい伝統としての「田園がいい」という考え方が生まれたか。これは19世紀の後半、万博以降ですね。1851年第1回目の万博、それからそれ以降、日本の明治時代に入る前後の時代からですね。

 

高 田: ということは、イギリスの高度経済成長の時代というのは日本より100年ぐらい早いわけですから、高度成長のあとにそういう価値観の転換がやって来た。文字どおり我々が今出会いつつある時代状況と、100年ずれて非常によく似ているというふうに考えていいのでしょうか。

 

 

 

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