側の人間がその土地の人たちに確かめられているということでありますから、我々が自助努力するしかないのであります。
今日私は新幹線の中で、新幹線チャンネルというのをイヤホンで聞いて楽しんできました。石川さゆりさんが自分で司会進行をしながら、自分の歌を紹介していました。
石川さんは私の好きな女性のタイプの1人でありますが、しかしその中でえらいことを言っていました。去年モンゴルに子どもさんを連れて旅をしたのでありますが、ゲル、つまりテント生活の遊牧民の家族と仲良くなった。そこであまりにもみすぼらしい衣服を着ていたので、私が帰ったら、子どもたちの使い古しを送ってあげますと約束したけれども、まだ送っていないというのです。それでぜひそれを果たしに今年行きたいと。私は行ってもらわなければ困ると思うんです。こういうことが国際的に私たち個人の段階で不信感を与えているのではないでしょうか。
私も民俗学のフィールドワークという立場上、30年間あちこちを歩いていますが、ついうっかりその場の雰囲気で「また来ます」と言いたいんです。事実言うのであります。これは社交辞令にならない場合がある。一生懸命それを待っていてくれる人がいます。また来ると言ったのに、来ないじゃないか。「あいつ、うそつきじゃないか」ということになりますから。私は旅する側のルールとして、落とすものがなければ嘘は言わないでくれと、そういうことが必要なのではないかと思います。
私たち日本人はこの十数年の問、随分海外に出ました。日本の国内もそれに負けず劣らずよく歩きました。その先々で何をしたか。私は文化的資源で人を呼ぶのももちろんでありますけれども、人的資源で人を呼べなければ、その土地の活性化も、あるいは土地と土地の友好も成り立たないと思います。我々は人的資源で人を呼ぶだけのことを歩きながらしたかどうか。これを反省しながら、今日は私はいくつか問題点を出していきたいと思います。
高 田: 旅人の側から、旅人が歩くことによって、逆にその土地に何かを落としていくというお話でありました。
実はこれは旅人を迎える側にも同じような配慮がたぶん必要なのでありまして、もてなしをよろしくして、観光客を増やしましょうというのが、今日の冒頭の挨拶にありましたけれども、もてなしというのは気持ちよく時間を過ごしていただくだけが本来の目的なのではなくて、古いことを申しますと、共に何かを持って何かを成し遂げるという意味が、もてなしという言葉に結実したのだそうであります。
今の話を聞きながら、私は秋田県の平野美術館のことを思い出していました。平野さんという非常に大きな地主が、藤田嗣治という絵描きを1年か2年ぐらい抱えていたんです。その問に藤田嗣治はたくさんの絵を描いて、現在平野美術館というのは、藤田嗣治の世界でも最大級のコレクションを誇っております。それがまた翻って今日、秋田県の平野美術館に人々を引きつける魅力の源泉の1つになっている。言ってみると、これは現在から考えてみると、藤田嗣治も食客でしばらく遊べた。好きな絵も描けた。と同時に、それは巡り巡って今日藤田嗣治のコレクションが多くの観光客を呼び寄せるきっかけの1つになっている、ということなのではなかろうかと思います。
続いては井野瀬さんです。井野瀬さんはもともとは19世紀近代のイギリスの研究をしておられる歴史家であります。19世紀というと、ちょうどクック旅行社がスタートする時代にあたるわけですけれども、そういうお立場から問題を提起していただぎたいと思います。
井野瀬: トマス・クックの名前が出ましたが、今でも世界的に活躍している国際観光の大きな会社です。これが生まれてくるのが、私がやっておりますヴィクトリア朝時代という19世紀であります。1851年の万博で、「みんなで行けば安くなる」という格安ツアーを一躍全イギリス中に広めた。そして世界制覇をしていくという、まさに観光の産業化というもののはしりがイギリスで起こったわけです。
そのトマス・クック社が初めて日本にツアーを送り出しましたのが、1872年、明治5年です。明治5年のトマス・クックのツアーのキャッチフレーズといいますか、キャッチコピーというものを見ていると、大体この時代の人がどういうふうに特定の国をイメージしていたかがわかります。日本のことはライジングサン、日出ずる国という言葉で宣伝いたしまして、西欧化が進む日本に残る伝統文化とのコントラストですね。古い日本、新しい日本、このコントラストを楽しむというツアー企画を、トマス・クックが初めて1872年に打ち出しております。
トマス・クック社は横浜に支店を設けます。開いたのはトマスの息子のジョン・メイソン・クックですが、これが父親とえらい意見対立をいたしました。父親のトマスというのは旅の大衆化、観光する旅人の数を量的に増やすという観光の大衆化ということをやって、産業化という一つの今に続く動きを打ち出した人なんです。
それに対して長男のジョンはむしろ絞っていく。質のいいもの、いい経験を提供するという、旅の大衆化に対して、旅の差別化というのを提供したのです。彼が初めてトマス・クック社の支店を横浜に開業いたしましたのが、1894年でして、伊藤博文がこのときにものすごいバックアップをしております。そして1923年の関東大震災でこの建物がつぶれてしまうまで、クック社は日本にツアー客を呼ぶという活動をやっております。
つまりその時代というのは、例えばラドヤード・キップリング、ノーベル賞の作家でもありますが、彼だけではなくいろいろな著名人が、イギリス人、あるいはイギリスだけではなくてヨーロッパ人が、日本体験をしにトマス・クック社の手配で日本に来るわけです。そしていろいろな人間がいろいろな日本体験をしているわけですが、その時代というのは、むしろ外国から来る人の方が日本から出て行く日本人を圧