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の技術の地域レベル(1kmメッシュ程度)での完成がなされたといってよい。

昭和60年代には、これら技術を具体的な政策として展開とその過程における微修正の時期となる。東京都では、「都市防災施設基本計画」(昭和56年)に基づき、平均65haの約700のブロックで都市を区画し整備する「防災生活圏構想」を打ち出し、その後、防災生活圏モデル事業(昭和60年に3地区指定)や防災生活圏促進事業(平成3年に23地区指定)により推進を図っている。その後、平成4年による「南関東地域直下の地震対策に関する大綱」が中央防災会議で決定され、直下型地震を含み関東圏に甚大な被害を及ぼす地震の究明が進められる中、平成7年に阪神・淡路大震災が発生したのである。(図1)

 

1-2 阪神・淡路大震災の教訓

今般の地震は多くの教訓を与えてくれた。

火災に関する分野においても、多くの課題を与えるものであった。今後の方向性を定めるに当たっては、教訓を整理することは重要なことである。

(1) 想定していない出火要因

従来想定されていた出火要因は、 一般住宅地においては、石油ストーブにはじまる暖房器具やてんぷら鋼など調理器具からの出火であった。これらの火気器具からの出火はさまざまな事象(イベント)の組み合わせで成り立つものと考えそのリスクを評価し出火危険度を算出していた。しかし、今般の地震においては、予想外の器具、特に電気器具からの出火が目立った。

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(2) 遅い延焼速度

従来の延焼速度の評価は浜田式が用いられ、昭和51年の酒田大火以降、東京消防庁の修正式が用いられるなど過大評価への反省があったものの、今般の地震における火災の延焼速度は20m/h〜30m/hと遅いものであった。ほぼ無風であり、建物が壊滅的に倒壊した場所での延焼という状況ではあったが、よりミクロな規模での延焼速度の再評価が必要となった。

(3) 以外な所での延焼遮断

火災規模が想定されたものよりは小規模であったため、通常は延焼遮断には無効とされていた小公園や比較的狭い道路での焼け止まりが顕著であった。想定ほどには火災規模が大きくならなかったと思われる。

(4) 市街整備と延焼被害

出火とは別に延焼拡大した地域の特性を統計的分析すると、市街地整備がされたところと未整備のところの差が顕著であった。未整備地域のインフラによるものか、住宅そのものの老朽化によるものか不明であるが、延焼防止に市街地整備が必須であるという見解は、以後の政策に大きな影響を与えた。

(5) 困難を極めた消火活動

通常火災では充分な消防力も多発する地震時の火災には無力であった。火災発生状況の正確な把握ができず、出動した消防隊は水利不足により全く無能力となってしまった。他地域からの応援部隊は相互の連絡が充分に取れずその能力を発揮できなかった。多くの教訓が得られ現在の消防対応能力の向上の計画に多大の影響を与えた。

出火・延焼速度・延焼遮断・消防水利・市街地整備など多くの教訓が得られたものと思っている。個々の教訓は既にその分野で新たな改善として提案されてきている。この教訓をも含め、震災対策開始当時からの推移を整理しながら今後の方向性を見てみよう。(図2)

 

第2章 出火と延焼速度評価技術の推移

火災の被害の想定には出火件数の想定と延焼速度の想定の2種類がある。火災による死者は避難の途中で火災に巻き込まれて発生するものと考えられる。他方、人の歩行速度は通常2〜4km/hであるのに対し、火災の延焼速度は200〜300m/hであることから、単体の火災により死亡することは稀であり、複数の火災により逃げ道を失い死亡するものと考えられている。従って、火災の被害(死者)を考えるに際しては、延焼速度より

 

 

 

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