第9回(35・12・11)
平 聖―(兵庫)
33年は白浜大会で団体3連覇を大谷重工にもたらせたほか、国体の個人決勝で布目(東京)を退けて初優勝、34年、白浜大会は農大佐々木由勝に屈し個人2位にとどまったが、第2回実業団富山大会で個人優勝。国体は個人3位、35年は白浜大会で4度目の団体優勝。国体では団体優勝の大将を務め、個人も再び優勝戦で布目(東京)を倒し二度目の栄冠。そして全日本は準々で佐々木(東京)を寄倒し、準決は坂元(福岡)を寄り切り、決勝も石黒(東京)を寄り切り、史上初の3度目の天皇賜杯。
2位 石黒 馨(東京)
3位 坂元政美(福岡) 高岡邦汎(明大)
第10回(36・12・3)
平 聖一(兵庫)
36年の全日本選手権では、優秀16に入って、布目(東京)をすくい投げ、準々で田畑(京都)を突き落とし、準決は高松(熊本)をすくい投げ、決勝は野見(和歌山)を寄り倒して2度目の連覇、計4度の日本一は今日まで破られていない。このタイトルが通算16個目で最後となった。以後38年第1回学生社会人北九州で個人3位となったのが最後の入賞、同年の全日本準々決勝で田畑(京都)に押し倒されたのが最後の舞台となった。史上に燦たる不朽の名人といってよい。
2位 野見典展(和歌山)
3位 高松卓司(熊本)荒木 孝(大阪)
第11回(37・12・9)
大森 茂雄(兵庫)
昭和6年生まれ。国体では24年に新潟県代表で少年の部、29年に兵庫県代表で青年の部、34年に同じく一般の部と三部門にわたって個人優勝を成し遂げたのは珍しい記録である。中大時代は28年の大学実業団刈谷大会だけだったが、29年、卒業後大谷重工に入って磨きがかかり、37年、全日本実業団選手権と、アマ横綱の二大タイトルを獲得したのをハイライトに、31年、35年に大学実業団白浜、32年に第一回の実業団選抜富山大会、35年には、中大時代に続き2度の大学実業団刈谷大会とタイトルを重ねていた。
2位 高見利彦(拓大)
3位 田中文三(東京) 今倉清保(福岡)
第12回(38・12・7)
布目 豊(東京)
34年の国体一般の部で東京都の大将を務め団体優勝。同年の全日本選手権では準々で内田(東農大、のち大関豊山、現時津風理事)を浴せ倒し、準決で坂元(福岡)を首投げ、決勝は大森(兵庫)を下手投げに倒し初のアマ横綱に輝いた。36年は国体一般で東京都の大将を務め団体、個人とも優勝。37年は実業団富山大会で個人優勝。国体は団体は準優勝に終わったが個人は連覇して3度目、38年は国体一般の部で東京都の大将として三度び団体優勝をもたらした。
2位 野見典展(和歌山)
3位 臼井陽昌(拓大) 田畑外志雄(京都)
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