なる。医療制度の基本間題は、日常の生活援助をやるところがなかったために、そちらが主となり、肝心の医療が従になってしまった点にある。
介護も同様だ。医療の場合よりも、もっと双方が近しい関係にあるから、公的介護がどんどん家事援助に重なっていき、そのままでは、医療のように公的介護保険制度も破綻していくのは必定である。
さらに、公的介護保険制度では、「心」は、その対象外である。しかし、生きていくうえで、心の満足感、精神的な充足感がどのくらい重要なものかは、改めて語るまでもない。では、そもそも、行政のシステムは、「心」を中心としたサービスを提供できるだろうか?
答えは否である。公平平等を旨とする行政にあっては、「心」というあいまいで、個人差があり、パターン化できないような対象を取り扱うこと自体に無理がある。
つまり、行政が、いくら介護をきちんとやろうとしても、日々の生活援助や心の交流といった分野を支える方策が存在しなければ、公的介護保険制度そのものが、色あせ、あるいは破綻してしまうことになる。
