
堀田 保育園や小学校一年生ぐらいの子でも、お年寄りの気持ちがわかってますよね。人の気持ちがわかる能力を育てるということは、教育の中の一番基本なのかも知れません。何もむずかしいことじゃなくて、本来持っている素直な資質をまっすぐに伸ばしてあげればいいんですよ。子供の感受性というのは鋭いですからね。
鹿島 ユウコちゃんという子がいたんですが、この子のおじいちゃんは痴呆症が進んでいて、夜中に俳徊したりずっと家族を悩ませていたんです。おしめが必要なそのおじいちゃんは、おばあちゃんの大きな毛糸のパンツをはかされていたんですね。ある時、それがずれた。その格好を見て、周囲の大人はスカートみたいだと笑ったんですね。お母さんがパンツを上に上げたら、またずれてきた。また笑った。でもユウコちゃんは笑えない。「おじいちゃんが何か悲しそうな顔をしたから」と。
堀田 うーん。それはもう大人以上の感覚ですよ。
鹿島 ええ。ユウコちゃんは、おじいちゃんの悲しそうな表情の中に、ものがいえない寂しさのようなものを感じたんでしょう。「おまえたちはそんなに笑うけども、おれはどうすることもできないんだ」というおじいちゃんの心が理解できた。それを読んだら、やっぱりすごいなあと。
堀田 本当にすばらしいですね。

「教師の個性を発揮できる教育現場に」
堀田 ただ、今の学校は知識教育優先で、こうした純粋な心をゆがめてしまっていますね。この罪は大きいですねえ。
鹿島 今の学校の体制は進学率を高めたり、生徒指導を厳しくするのが主眼で、心を伝えるという仕事が教師からだんだんなおざりになっていくようでとても残念です。
堀田 教育課程審議会でもいろいろと主張しているんですが、私なんか本当に少数説なんですよ。
鹿島 ぜひがんばってください。いじめ事件があったり、神戸の殺人事件でも、必ず教育委員会から通達が来て「しっかり点検しろ」と。それで先生たちはがんばる。つまり指導強化ということです。今、心の教育がいわれてますが、これもまたやり方によっては「何々をしなさい」と余計に官僚的になりかねませんね。現場の先生はどんどん指導強化のほうへ向かわせられてしまう。ぼくも現場におった時にはどうすることもできなかった。自分のクラスでチマチマやるのが精一杯でした。
堀田 人間的なふれあいなんて別にぜんぜんむずかしいことじゃないんですけどね。ボランティア学習を学校の先生にすすめても、自分が経験してないから「教えられない」という。でも教える必要なんかないんです。老人ホームなんかに連れて行くだけでも、後はほっといたら自然に学ぶんです。そこで先生も一緒になって活動して体験して、子供と一緒に何かを感じればいい。でもそういう考え方ができない。発想の転換が必要ですね。
鹿島 毎日毎日子供の心は成長していくはずで、それに教師が向かうた
