

「おじいちゃんが、悲しそうな、顔したよ」
堀田 ところでそうした自由なふれあいの中で、子供同士、互いに学んでいく点も多々あるでしょうが、私はそこにぜひ高齢者の方の力を活用できないかなと、うちの財団でもいろいろと働きかけておるんですが。
鹿島 子供を育てるというのは、ある意味でむだな部分も必要で、それが人間育成に潤滑油的に役立つんじゃないかなと思うんです。親は余裕がないからすぐに命令形で子供を動かそうとします。対話がないんですね。同居しているおじいちゃん、おばあちゃんがいたら、そういうものもカバーできますし、学ぶことはたくさんありますでしょう。
堀田 「あのねちょう」にはそんなおじいちゃんやおばあちゃんとの心温まるふれあいが書かれていますよね。
鹿島 (本を開きながら「目の見えないおばさんがハトにえさをやっていました。ハトがたくさん集まってきました。『ようけい集まってきたか、ようけい集まってきたか…』いうてお米をたくさんまいていました。弁当箱のエサ入れを持って、目の見えないおばさんはハトのほうを見て笑いました」。この"目の見えないおばさんはハトのほうを見て笑いました"なんていうのはすごい感受性でしょう。
堀田 すばらしい観察ですよね。
鹿島 「お風呂やさんへ行きました。二人のおばあさんが話をしていました。『昔は、親孝行したい時に親はなしやったけど、今は親孝行する気はないのに親はおる』っていいました。もう一人のおばあさんはさびしそうに笑いました」…。
堀田 よく見ていますねえ。
鹿島 ええ。こういうのはやはりおばあちゃんに気持ちを寄せている子供だからなんですね。「おじいちゃんはハゲちゃびんやのに、お風呂にシャンプーを持って行く」というのも、あります(笑)。
堀田 ハハ、それはいい(笑)。
鹿島 このおじいちゃんは本当に頭の毛が一本もないツルツルテンなんです。そのおじいちゃんと一緒にお風呂に行って、ちゃんとシャンプーを使っている様子を観察しているんですね。「こうして頭にツルツルってかけたらね、ツルツルツルーッと落ちてきたんや。ヒャーッとこうしてたら何か泡がいっぱい出たよ」とか、ぼくにうれしそうに話してくれるんですよ。

「学級通信1年1組あのね帳」(PHP研究所)より。