さあ、それからが大変。なにしろ村にとっては青天のへきれき。国土庁から寄せられたモデル事業の骨子を細部にわたって検討することから、暗中模索が始まった。
モデル事業では、公民館などの特定施設にパソコンを集中的に配置して、そこに住民が足を運んで生涯学習などに役立てることを奨励していた。しかし、ほとんどが村外に働きに行く兼業農家の山田村。高齢者が多く、交通事情もよくない上に、冬は豪雪地帯という村の実状とはかけ離れている。山崎吉一村長は「情報網を整備することが新しい地域づくりの核とならなければならない。そのためには国土庁から示された案をそのまま受け入れるのではなく、山田村の実状にあった独自の案でモデル事業を推進すべき」との方針を固めた。実はこの独自性こそが、全世帯にパソコンを無期限無料貸与してネットワークで結ぶという壮大な構想につながったのである。
村では、情報システムのネットワークの構築に当たって、簡単にできる業者任せをあえて避け、より村の実状に合ったシステムをつくることにこだわった。しかし、小さな村の小さな役場のことである。専門家などいようはずもなく、専任の担当もいない中での挑戦は無謀にも思われた。
当初よりこの事業に関わり、現在は情報センターを担当している岩杉陽一さんは当時を振り返り、

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