運命の出会いからはじまった博愛・奉仕の生活

武治さんは主に経営する(株)ライフプランニング西来(東京都・世田谷区)で医療関係の相談を受ける。最近はガンなどの末期医療に関する相談が多い。
「はい、こちらダイヤルフレンドです」
西来みわさんの温かい声が室内に満たされる。どんな人がどのようなつらい思いを抱えて電話をかけてきたのだろう。つい今までしていた雑談から素早く頭を切り替えて、みわさんは電話相談員モードになる。さりげなく武治さんがメモの用意をする…。
雑誌社に勤めていた武治さんが退職して、電話相談「ダイヤルフレンド」を開設したのは二六年前。これまでに夫妻で担当した電話相談は一〇万件余り。最長記録は四時間半。これらの内容は一三八冊の大学ノートにびっしりと綴られ、『西来武治のダイヤル相談室』(ミネルヴァ書房)、『電話カウンセリング41章』(探究社)、『癒しに生かす経典の言葉108』(春秋社)などの本にもなった。
相談件数が最も多いときは一日一六五件もの電話を受けたというが、いのちの電話が開設され、各地に電話相談が誕生するにつれて回数は減り、現在は一日一〇件程度。寄せられる相談の内容は、人間関係・家族・教育・育児・就職・医療など多岐にわたり、医療関係については医学ジャーナリストである武治さん、そのほかをみわさんが担当している。
ダイヤルフレンドは西来夫妻による完全なボランティア。いかなる団体や企業の援助も受けず、相談者からも一円ももらわず、ひたすら奉仕の精神で今日まで続いている。これほど長きにわたって、自らの時間を削ってボランティアに徹する西来夫妻とは、いったいどんな人たちなのだろう。
西来武治さんは大正一三年札幌生まれ。三重県で真宗高田派の住職兼中学・高校の教諭をしていたが、腎結核で右腎臓を摘出。四年間の療養生活中は、患者同士の横のつながりを重視。療養者通信を発行していたことが注目され、回復後はある療養雑誌の編集者として社会復帰した。
一方、みわさんは長野県南佐久郡に、医師の父と助産婦の母のもと、昭和五年に生まれた。母みつのさんは義理の子と実子の八人を育て上げる一方、民生委員や生活指導部長なども務め、昭和三〇年主婦の友社の「日本の母」賞にも選ばれたという博愛の人。そういう環境にあってみわさんは地元で保健婦を志したが、やはり結核を患い、六年間の療養生活を余儀な