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小栗克裕君のこと

早川 正昭

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小栗克裕君に私が初めて出会ってからまだ3年しか経っていない。

小林秀雄氏の後任として、私が聖徳大学に赴任した時が初対面であった。第一印象は、ありきたりの表現だが、頭の良い好青年というタイプで、少し軽い感じかなと思ったのであった。職場の同僚として、同じ研究室で彼に接してみると、頭の切れは予想を遥かに上回り、話は面白いし、誰かにからかわれても、すぐに当意即妙の鋭い反論で、切り返してしまう、といった具合で、研究室はいつも大爆笑の渦なのである。ビアノがとても巧く、作曲家兼ピアニストといった方が良い位だが、学生の求めに応じて、ラフマニノフやラヴェル、スクリヤビンと言った難曲をすぐ弾いてしまうので、気さくな先生として学生にも人気がある。昨年から、髭を蓄えるようになり、これがとても良く似合うので、初対面の時に感じた軽さは薄くなり、いっぱしの作曲家としての貫禄も出始めたような気がする。

さて、彼の音楽を初めて聞いたのは、ピアノ協奏曲の初演の時であった。構成力のあることと楽器の使い方、特に打楽器の壷を得た使用法が強く印象に残った。しかし、私は敢えて「打楽器の使い方がとても巧いけれど、それに溺れて少し使い過ぎではないか? 例えば、大太鼓の一発を節約して、低弦のズンというスフォルツァンドにしてはどうか。」などと偉そうなことを言ってみた。彼はそれに対して無言であったが、内心ムッとしていたかもしれない。

彼のオーケストラ作品を年代順に聞いてみた。風神の名前をつけたものが多いが、ピアノ協奏曲でも、最近のチェロ協奏曲でも、風の音が感じられるような気がするのは、私だけであろうか。聞いた人が、あ、これは小栗の音だと感じさせる独特な音を徐々に完成させつつあるのかもしれない。彼の曲は、時々他の曲を食ってしまうことがある。聞き手の、「こうあってほしい、こうあるべきだ。」と思う通りに進んで行くかと思うと一転して新鮮な驚きを提供する。各楽器の無駄の無い効果的な使い方が演奏者をその気にしてしまうことも、好結果につながっていると思う。しかし、最後にまた偉そうな苦言を一つ。「雄弁な人の口説きよりも、口下手の人の『好きだ。』の一言に参る女性もいるよ。」

今回の曲は、いささか物騒な題名がつけられているが、凝縮したものが現われてくる予感もする。「作曲家は人に言われて直すようじゃ駄目だ。」をモットーにしていて、作曲専攻の学生にも言うので、レッスンがやりにくくなったりしている彼のことだから、私の言うことなどあまり気にせず、自分の思う通りの音を書いていってくれるだろう。

 

 

 

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