彼の作風は、一般的に言って伝統主義の中で、新しい「音の世界」を求める、といったもので、音楽に奇をてらうといったことがない。
彼は多種な作品の創造に関係しているが、一貫して言えることは五線譜の上のみの生命力が欠如した作業ではなく、生きた音楽の生命力を大切にしていることが理解できる。
これからの「創造的音楽社会」を切り開いてくれる若者の一人であることを楽しみにしている。
(小栗克裕 プロフィール)
1962年12月15日生まれ
1984年 安宅賞受賞。神奈川県芸術祭創作合唱コンクール1位
1987年 IMC国際作曲家会議コンクール3位受賞
1988年 東京芸術大学大学院音楽研究科作曲専攻修了
1992年 日本交響楽振興財団第14回作曲賞入選
1996年 第7回吹田音楽コンクール作曲部門1位受賞
1997年 「ヴィオラ協奏曲」が、文化庁舞台芸術創作「管弦楽部門」奨励賞佳作入賞
現在、聖徳大学短期大学部音楽科 専任講師
作曲を野田暉行、黛敏郎、三善晃、理論を尾高惇忠、島岡譲の各氏に師事
管弦楽のための「ディストラクション」("Destruction"for Orchestra)
小栗 克裕
“Destruction”とは「破壊」という意味である。
世紀末を迎えた昨今、世界的な規模での戦争こそないが、各地で民族の対立があり、鎮圧にあたっている国連軍でさえ、殺し合いに参加しているようなものに思える。
一方、日本でも命の尊さを人々に諭すはずの宗教が、殺戮の限りをつくし、多くの人命を奪い、未だそれを信じ続ける教徒がいること自体、狂気の沙汰としか思えない。
阪神大震災のような予想もつかない自然の脅威は、もはやひと事ではない。私事で恐縮だが、15年前に作曲のレッスンに通った西宮市は、震災で大きな被害を受け、幼馴染みの友達をよく訪ねて行った仁川の山間は、大規模ながけ崩れがあった場所だった。
この作曲の意図は、そう言った災害の犠牲者たちへのレクイエムの意味で書いたわけではなく、犠牲者たちが、予想しえなかった自分自身の逃れ得ぬ運命への憤り、哀しみ、そして恐怖を、音の世界によって代弁したかったのである。