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目標となっている。合理的で効率的な行政は、副次的な目標になっている。役人のポストが利権、役得の手段と考えられている。ネポティズム(身内びいき)が働いている、といわれている。

 

シンガポールは、汚職が少なくクリーンなイメージの国として知られている。

しかし、1952年に、汚職調査局が設置される前の1940年代、50年代前半は、汚職が公務の世界で慣行となっていた。また、1965年の独立時から現在まで約30年間、人民行動党(PAP)の政治独占が続き、支配政党と官僚の一体化も進んでいる。

それにもかかわらず、現在、汚職が少ないのはなぜか?

その理由の一つとして、PAP政府指導者の姿勢によるところが極めて大きい、と言われている。

実際、1952年に、汚職調査局が設置されても、法の不備や国民の信頼が今一つであるなどの問題があった。

しかし、1959年に、自治権を獲得し、普通選挙が導入され、政府の汚職批判キャンペーンを行ったリー・クアンユーが率いるPAPが政権に就くと、指導者自らがまず民間との商業的、財政的な結びつきを精算し、仕事での率先垂範によって模範を示すとともに、公務員意識の改革を進めた。

例えば、「政治研究センター」を設置し、上級幹部公務員の研修を行うなどした。また、年功序列から能力主義への転換も進めた。なお、1950年代に官僚ポストの現地化が進み1959年に完了している。

また、PAPは政権につくと、従前からあった汚職調査局の組織強化のほか、汚職防止法の改正を1960年に行い、汚職調査局に強い捜査権限を与えるとともに、従来、捜査官は警察からの出向者に頼っていたのを専属の捜査官を配置するなどした。

1970年には、汚職調査局は総理府の直属となり、国家公務員、準政府機関、公営企業の役職員の活動を監視し、規律の保持に努めた。

リー・クアンユー前首相の官僚に対する姿勢は、一方で効率と清潔さを要求しながら、人材確保のためのインセンティブとして報酬を高くし、他方で汚職調査局を駆使して、官僚の汚職の監視、摘発を行うということであった。

現在、汚職調査局は、75名で、うち49名が汚職捜査官となっている。

汚職摘発のきっかけは、記名や匿名の手紙、電話による不正の通報などが主で、24時

 

 

 

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