日本財団 図書館


シコルスキーS-58型2機の外、毎回小型のベル47型2機を搭載した。

宗谷が流氷の海を航行する場合、砕氷能力が弱いので、海面の出ているところ、氷盤の割れているところ等、航行し易い場所を伝って前進するのであるが、予め小型ヘリコプターが偵察して氷海への進入路を決め、宗谷が前進中は常に前方を飛んで旗を立てたり、電話によって道案内役を勤めた。また、第1次観測で、昭和基地を何処に設置するかを決めるための調査に活躍し、第1次、第4次では、雪上車の輸送路の探索にも活躍した。ベル型はフロートを装着したので氷上に着陸も容易で、身軽に行動した。

次に、観測隊が大陸で地形、地質、氷河の調査や、位置の測量、標識の設置等を行ったが、S-58が人員・機材を輸送したり上空から観測したりと、空輸に余裕が出来た時には全幅協力した。また、近くのソ連の基地を訪問し、双方の幹部が交歓したこともあった。

 

4 ヘリコプターの飛行に影響した南極地域特有の現象

 

(1)低気圧と南極前線

南極大陸リュツォホルム湾周辺の天候は周期的に来襲する低気圧が、宗谷の行動とヘリコプターの運航に大きく影響し、宗谷はビセットされたまま流され、ヘリコプターは勿論飛べない。私は昭和基地に10日間留められ、40米を超えるブリザードに見舞われたことがある。ヘリコプターは杭を打って地面に固定したものの心配で、機内に1トン近くも石を積んで重くして風に飛ばされないようにした上、泊まり込んだことを記憶している。また、氷海に進入した宗谷と昭和基地の中間には、よく南極前線が発生して、屡々中途から引返し、空輸が中断した。

(2)白夜

昭和基地は南緯69度にあるので、我々が南極海に到着する頃は1日中太陽は沈まない。沈むようになっても、水平線から幾らも沈まない上、見渡す限りの銀世界なので暗くならない。そのため、我々は天候さえ許せば1日24時間飛行出来た。天候不安定な極地では好天時を100%利用せねばならないので、大いに助けられたが、1日16〜17時間勤務することにもなった。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION