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空輸を再開するのであるが、氷縁は徐々に後退しているので最初程の苦労はない。ただ、南極は秋の季節を迎えて海水が凍り始めるので、閉じ込められないようにしなければならない。

荷物は1回約1トン、機体内に、あるいは、機外に吊り下げて運んだ。雪上車も小型飛行機も吊り下げて運んだ。

第3次の時は、2機のヘリコプターを3組の搭乗員が交代で運航したので1日16〜17時間の勤務となったこともあったが、幸い、好天は長く続かないので適当に休養が出来た。第4次以降は4組になったので連続空輸でも楽であった(第6次は空輸量少なく3組)。

第1次から第6次観測までのリュツォホルム湾付近の気象・海象を比較すると、第1次は稀に見る好条件に恵まれ、第5次がこれに次いだ。悪い方では第2次が最悪で、第6次、第3次、第4次の順であった。私が参加した第3次観測以降で、最も恵まれた第5次でも飛行可能と思われる時間帯は全体の50%で、最悪の第6次では20%であった。

宗谷では飛行甲板から直接発着出来たが、2機同時の発着は出来ない上、荷物の積載に適しないので、空輸の場合は氷盤に横付けして、氷盤上に板を敷いたヘリポートを1〜2か所設けて使用した。私は大型ヘリコプターで氷盤に直接降りようと試みて片脚を突込み、間一髪横転を免れた経験があり、氷盤への直接着陸は無理であることを証明した。昭和基地では建物の近くの平地に発着したが、発着の度に砂が舞い上がり、砂に含まれる雲母粉が何時までも空中にキラキラと輝くのが印象的であった。第3次観測の時、基地ヘリポートには拳大から頭大位の石が周りにゴロゴロしていたが、4次、5次と回を重ねるに従って石塊がなくなり、第6次には殆ど雲母混じりの砂になってしまった。ヘリで帰船する人達が、内地へのお土産に拾って行くからである。我々の南極土産は何と言っても南極の石と南極の氷であった。

また、第3次観測の第1便で、昭和基地に着陸するため高度を下げた時、村山越冬隊長が逸早く見付けて、樺太犬タロとジロが生きていたことを知り、我々を迎えてくれた時は感激の一時であった。

 

3 空輸以外でのヘリコプターの役割

 

南極観測で宗谷に搭載したヘリコプターは、第3次以降の大型ヘリコプター、

 

 

 

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