19世紀のヨーロッパが、ドイツに対してとって失敗したような政策をアジアで繰り返さない英知が求められる。アジア大平洋においては、第2圏域の諸国の第1圏域化は、ヨーロッパにおけるより困難が大きい。したがって、たとえば中国に対して、ただちに民主化を求めても非生産的であろう。おそらく可能なのは、ある種の「大国の協調」の枠組みの中に中国を引き込むことによって不必要な敵対関係の進展を防ぐことであり、その過程で、間接的な努力(経済相互依存の進展、多国間安全保障対話の促進など)によって、中国自身の第1圏域化を促進することなのであろう。
第1圏域諸国にとって、第3圏域への対策は、きわめて困難であり、また、そのゆえに十分に行われてきていない。おそらく第3圏域の問題を一挙に解決する即効薬は存在しない。したがって、以下に述べることも暫定的な処方箋にすぎない。
第1になされなければならないのは、国際連合の再活性化である。とりわけ現在のアメリカの国連軽視、国連無視は改められなければならない。ブトロス・ガリの「平和強制」に戻ることは健全でないにしても、現在のように、「平和維持」についてすら無関心が蔓延する状況は是正されなければならない。第2に、第3圏域(混沌圏)における国家再建への協力である。最低限の秩序維持のためにも、国家が再建されなければならない。民主主義的な政権が誕生すればより望ましいし、独裁者の誕生を助ける必要はないが、まず重要な点は秩序を与える国家を形成することである。第3に混沌圏周辺地域における国家間協力体制の形成を促進すべきである。混沌圏周辺の国家が、これへの介入をねらったり、また自らが混沌圏化することを防がなければならない。そして第4に、混沌圏周辺地域における第2圏域諸国の第1圏域化を促進することである。その意味で、民主化と市場経済化を定着させつつある南部アフリカ諸国への支援を充実させなければならない。
以上のような安全保障についての課題について、第1圏域に属する先進民主主義諸国の役割は大きい。その中で、やはり決定的に重要なのはアメリカの役割である。アメリカが第2次世界大戦直後から1960年代にかけてのような圧倒的影響力(「覇権」)を失ったのは間違いないにしても、冷戦後の世界において唯一の「超大国」であることもまた間違いない。さらにアメリカは、国内社会的にいって、最も「新中世」的な側面を持つと同時に、第2圏域のいかなる国が挑戦しようとしても、到底太刀打ちのできないほどの軍事力(近代的な意味での国力)も持つ。アメリカのこのような力(新中世的な意味での力と近代的な意味での力)を利用せずして21世紀の世界をより平和に、より繁栄したものに、そして環境をも破壊しないものにしていくことはできない。
西欧諸国にアメリカと同じ役割を期待することはできない。とりわけ第2圏域や第3圏域に対する政治的な決断力の中心としてはアメリカに代わりうる国家は存在しない。しかし、地域としてみれば、西欧ほど「新中世」的な国際関係が進展している地域はないし、全体としての潜在力はアメリカに匹敵するものがあろう。日本にとって、「新しい中世」がもたらす社会経済問題の解決のために西欧諸国の経験から学ぶべき点は多い。また、世界的な諸問題に関するアプローチにしても、アメリカとはやや異なる観点を知るためにも日欧関係を重視する必要がある。
いうまでもなく、日米欧の間にも差異や矛盾が存在し、その間で「政治」が存在しつづけることは確実である。しかし、その政治は、「安全保障共同体」内部での政治であって、古典的なパワーポリティックスではない。そこでは、シンボルの操作やメディアエ作が重要となろう。日本という国家は、そのようなシンボル・ポリティックスにおいて、日本国民の利益となるよう努力しなければならない(もっとも、何が日本国民の利益になるかは、それ自体は自明とは言えず、日本国内外における「新中世」的なシンボル・ポリティックスによって定義される)。
しかしながら、21世紀においても相当長い間、世界すべてが第1圏域になることは考えられない。シンボル・ポリティックスのみでは、安全は確保されない。第1圏域の安全保障は、やはり、その他の圏域からの危険をいかにして防ぐか、その他の圏域をいかに第1圏域化していくかにかかっている。このような問題の対処は結局のところ、第1圏域の諸国すなわち先進民主主義諸国の間の、創造的かつ積極的な協カ――パワーとシンボルを賢明に組み合わせた政策協力――にかかっている。
以上