冷戦後の安全保障体制における先進民主主義諸国の役割
岡崎久彦
1. まず、いわゆる集団安保体制と同盟を峻別しないと議論の混乱が起きる。
簡単に言えば、同盟とは、明言するとしないとにかかわらず、仮想敵を想定し、それに対する軍事バランスによって平和を維持しようとするものであり、集団安全保障とは、利害の必ずしも一致しない関係国全部が加入して、共通のルールを作り、お互いにそれを守る事によって平和に貢献しようとするものである。
前者には、日米安保条約、NATO条約、古くは、日英同盟、日独伊三国同盟がある。
後者は、国際連盟、国際連合がその典型であり、現在ヨーロッパではOSCE、アジアにはARFがあり、戦前はロカルノ条約、日米英仏の四カ国条約、九カ国条約があった。
集団安全保障は、第一次大戦後初めて導入された概念であり、いまだにその内容の理解について混乱や幻想があるが、次の二点さえ見失わなければ、それなりに有意義な構想である。
一つは、その効果は、主として平和時における対話、相互の軍事的意図についての信頼醸成、軍備の透明度の確保であり、それ以上を期待しそれに依存する事は危険だと言う事である。戦前の満州事変、イタリアのエチオピア占領、ソ連のバルト三国、フィンランド侵攻、戦後はハンガリー、チェコ事件、アフガン侵攻の例に見られる通り、危機的な状況で有効に作用した前例に乏しく、一国の安全保障をそれだけに頼る事は出来ないという限界をはっきり認識する事である。
もう一つは、したがって同盟と集団安全保障は相互補完する事は可能であるが、代替する事は不可能である。したがって、同盟を漸次集団安全保障に変えて行く事が可能であるというような幻想に陥入らない事である。
2. 集団安全保障体制において、主権国は原則として平等であり、先進民主主義国に特別の地位が与えられるわけではない。
むしろARFのような場では、先進民主主義諸国は、地域諸国の意見とイニシアティブを尊重し、出来る範囲で対話と信頼醸成の拡大強化に協力する姿勢で臨む事が期待されている。
更に先進民主主義国の役割には、集団安全保障に対して―プロパガンダは別として-本来懐疑的であり、力に重点を置いて考えるロシア、中国の両大国に対して、同等の大国としての立場から、集団安全保障に協力させ、透明性を確保、拡大するよう要請し、説得する事にある。
もし、中国の核、ミサイル兵器開発の現状について、ロシアと同じような透明性を確保し得るとすれば、それは画期的な成果であり、東アジアのより安定した平和の構造に大いに貢献するものであって、それだけでARFの存在価値を証明するほどの成果である。
なお、核拡散防止、環境、エネルギー、食糧などの広義の安全保障は、元来、すべての国の共通利益を考慮するものであり、多数国のフォーラムがそれを討議する適当な場である事は言うをみたない。その中で先進民主主義国それぞれの経済力、技術力に相応の貢献を行い得る。