日本でもある程度“和をもってとうとしとする”といった宗教的な影響という要素が非常に強かったわけでございます。
ところが、先生のおっしゃる新中世でのコミュニティーというのは、まさかそういった画一的な中世、本当の中世というものを持ち込むわけではないだろうし、そうすると、どういう意味でとらえていらっしゃるか。
もう1つ申し上げると、例えば、イエールで憲法学を教えていたボークネントが、そもそも先進民主主義国としてのアメリカは、ソドム、ゴモラに向かっている、混沌に向かっているのだという説でございます。私は、これは説得性があるなと思っていつもみているのですけれども、コミュニティーが再建する望みがないくらい、いわゆる社会的な自由主義というものは有害なものだと言っています。ですから、先生のおっしゃる政治的な経済的な自由主義の優越性というのは議論の余地がないと思うのです。自由主義社会というのは衰退するのではないでしょうか。
○モデレーター 何かお答えいただけますか。
○田中 大変大問題でありまして、私には、容易に答えられないのですが、今、古い中世のときのような、精神面を指導するような普遍的なイデオロギーというのはないわけです。それで、最も普遍的価値をもっているのが政治的、経済的な自由主義なわけです。ですから、現在の普遍思想というのは自由主義ですから、この自由主義が普遍的というのはかなり難しい問題を呼ぶわけです。好きなようにしてよろしいということが普遍的なわけですから、こうしろ、ああしろとは言わないというのが普遍性の根本であります。
ですから、この辺が私のいう第1圏域における安全保障といいましょうか、第1圏の安定性を根本的に揺るがす可能性を秘めている。その意味で、先生がおっしゃったような、自由主義というのはほうっておけば混沌に向かうだけで、何も形あるものがつくれないという可能性というのはあると思うのです。
ただ、そう言っても、コミュニティーといいましょうか、人々の帰属意識は今非常に多様化していると思います。特にアメリカ、あるいはヨーロッパはかなり多いと思うのですが、日本の帰属意識は極端なまでには崩壊してはいないと思います。ですから、その意味で、私のいったコミュニティーを再建すべきだというのは、どちらかというとべき論でありまして、そのコミュニティーの再建の基礎にまたカトリック教会に頼むということは、私は考慮してないのです。
ですから、やはり自由主義の根本の中で、ボランタリスティックアソシエーションというものをつくっていかなければいけない。このボランタリスティックアソシエーションと、国家という秩序の維持の最低機能の装置というものを何とかうまく結びつける工夫をしていかなければいけないということを申し上げているのですが、これは私自身非常に抽象的な議論で、具体的にどうしろといわれるとなかなか難しいといわざるを得ないというのがあるわけです。
○佐藤 ちょっだけよろしいですか。
○モデレーター はい、どうぞ。
○佐藤 私は、良い面と悪い面と両方の面が、西ヨーロッパを除く先進民主主義諸国に出ていると思うのです。良い面というのはNPOが非常に活発になってきている。ボランティア活動、NPOというのはいかがわしいのがいっぱいありますが、いかがわしくないのもあるのです。