それが同盟の目的であります。ところが、この集団安全保障というのは、ウィルソン以来、アメリカが言い出したことでありまして、敵も味方も関係のある国が集まって一緒のルールをつくろうではないか。みんなでそのルールを守ったならば世の中は平和になるというものです。それはそのとおりです。
ところで、ルールがもし破られたらどうするのだということに対しては、答えはないのです。ウィルソンなどが結局追い詰められて言っていることは、ルールを破った国は国際世論の非難を浴びるだろうということなのです。ルールを破るまでの過程ではいろいろ意味があるのでございますけれども、ルールを破った場合に、そういう集団安全保障というものが有効だったという例は歴史上1つもないのです。キッシンジャーの本では、それに近い例は、イラクに対する多国籍軍であろうということをいっておりますけれども、それもアメリカの政策を遂行するに当たって、集団安全保障という口実を使ったのだ、名目に使ったのだと言っております。これは、集団安全保障の実際の発揮ではないと書いてございます。それ以外は、第2次大戦前から大戦後のチェコ事件、ハンガリー事件、アフガニスタン事件に至るまで、集団安全保障なるものが効果的に役割を発揮したことはない。ですから、限界というものをはっきりさせておかなければいけない。限界さえはっきりしていれば、平和時においてはそれなりの役割を果たすのです。特に一番の役割は、対話による透明性の確保でございます。相互信頼醸成は意味があるわけでございます。
ですから、集団安全保障の問題については、まず第一は、それには限界があるということをはっきり認識すること。もう1つ、最も大事なことは、集団安全保障が同盟にとってかわるということはあり得ない。また、そういう幻想を抱くと非常に危険なことであるということでございます。例えて申しますと、日本は1922年、日英同盟のかわりに日米英仏の四カ国条約を与えられましたが、何の役にも立たない。全く同じことがヨーロッパで起こりまして、フランスは、とにかくイギリスとの同盟がどうしても欲しい。アメリカとの同盟も欲しい。ベルサイユ会議を通じてフランスはこの点を公言していたのですけれども、結局それは与えられませんで、ロカルノ条約が与えられた。ロカルノ条約というのは、英仏独伊、それにベルギーが入って、お互いにルールをつくって守ろうではないか、守っていれば平和になる。という思想に基づいています。その後で東欧が加わるわけでございますけれども、それが役に立たなかったことは歴史が証明しております。
ところが、この誤解がいつまでたっても生きているのでございます。最近の新聞の論説もそうでございますし、実は、昨年のクリントン訪日というのは非常に重大な意味があったのでございますけれども、その2年ぐらい前の段階では、そういう議論が現にアメリカであったのでございます。つまり、日米安保条約のかわりに、将来は日米中ロの四カ国条約にしようという議論が昂然とございました。これは91年に冷戦が終わって、今後どうしようかとみんなが白紙の状態で物を考えたときに出た議論でございまして、94年ごろまでございました。それをはっきり否定しましたのが、1995年2月の、いわゆるジョーゼフ・ナイ報告でございます。そこには非常にはっきり書いてございまして、集団安全保障は同盟を補完する。しかし、代替はしない、代わりにはならないということを書いてございます。
実は、その1年前にはジョーゼフ・ナイ自身、今すぐでなくてもいいけれども、将来は代替すべきだということを言っていたのでございます。それがペンタゴンに入りまして、実際的な問題に当たっているうちに、そういう結論に変わったわけです。