あちこちでコンフリクトが起きている大きな問題です。私たちの議論の中心でもありました。ヨーロッパの労働市場に関する問題、金融慣行に関する問題---これはアジア危機の問題の中心ですが---そうした大きな衝突は長期的な過程の中で起こってくる問題だと思います。現在の短期的な通貨危機に限定してしまえるものではありません。非常に複雑な問題を生み出します。非常に長期的過程の中での問題です。このグローバル化の力というのは非常に強力な力であるわけでして、最終的には、社会変化が伴うものであると考えるべきだと思います。
○イープスリー 何点か簡単に申し上げたいと思います。ジョン・ウォーリーの指摘は非常に有用かと思います。確かにこういった衝突、そういったクラッシュはあります。私は、プラインダー氏の言う市場の逆襲とは反対の側面について触れたいと思います。テレビ、電気通信のコミュニケーション技術の急速な広まりは、消費者の態度そのものを変えてしまいました。消費者はみずから、グローバライゼーションを享受したいため、自分たちも参加させろという声を発しています。彼らは、成長も欲しいし、さまざまな新技術による新製品も欲しいし、輸送手段も欲しいし、マス・カルチャーヘのアクセスも欲しいのです。
同時に、現在の政治体制においては安定性も欲しいし、現在の文化の特性も気に入ったものはなくしたくはないのです。私の知っているほとんどの国では、グローバライゼーションの中で、自分たちが一体何を取るのか、自分たちが伝統的な文化の中で何を残すのかということについてはまだコンセンサスはありません。勝者、敗者の問題の一部であり、これは社会的に選択しなければなりません。これには、社会的、政治的に非常に厳しい調整が必要です。私たちは、これについても深く討議しました。
○谷口 手短に言いますと、グローバライゼーションという言葉は、やはリアングロサクソン系の言葉なのです。例えばフランス語では、グローバライゼーションという言葉はないわけです。モンデアリザシオンとか、そういう言葉を使い、フランスは、グローバライゼーションという言葉を絶対そのまま受けないのです。ヨーロッパの文化からみても、グローバライゼーションは、やはりアングロサクソンのコンセプトであるということからです。OECDは、幸か不幸か、結局、アングロサクソンが支配している社会ですから、グローバライゼーションを受け入れているわけですけれども、アジアの場合にはやはり、カルチュラル・バックグラウンドも違います。そういうことで、大変大きなインパクトがあると思います。
ただ、日本については、OECDからみれば日本は極めて異質的なのです。アジアのみならず、ある面ではアジアの方が進んでいる面もあるのです。日本