た。危機がインドネシアを集った時に、外貨準備を維持するため、政策介入をしませんでした。しかし、IMFのパッケージでは、政策介入が入ってきて、公共部門をまず点字化することになりました。かなリデフレ的なパッケージです。特に国内調整を強いたのは、国内の金利政策でした。このため、高金利政策に伴う調整コストが非常に高くなるという議論があります、調整プロセスが為替レートに影響を与えることになって、インフレ率を上げてしまいます。ですから、国内の調整のコストはかなり削減できる、もっと小さくできるということも考えられます。今回のケースでは、明らかにコンディショナリティーは、回復をかなり遅らせて、国内の調整を難しくしてしまったように思います。パッケージに関しては多くの犠牲を払うことになって、結局外貨準備が維持されただけでした。ですので、このケースについては、先ほど小島さんから出ました意見に非常に同調するものであります。
○司会 今まで、ファイナンシャルな問題、マネタリーな問題に絞られましたけれども、ほかにも、ソーシャル・コヒージョンであるとか、トレード・システムとか、リージョナリズムとか、まだまだ問題点はたくさんあるわけですが、どなたでも結構ですので、どうぞ。
○中島 伊藤忠の中島といいます。先週まで、実はタイのバンコクヘ行っていまして、アジア通貨危機の問題について、現地の人と議論をしてきたのですけれども、そこで感じたことを少し申し上げてご質問したいのです。
グローバライゼーションの進展の中で、当然、各国とも、国内の経済運営というのは、そういうグローバライゼーションの進展に見合ったものに変革すべきです。けれども、多くの国はやはり、政治・社会システムという非常に古いシステムを温存していまして、政治システム、社会システムの変革が遅れてしまいます。結果的に、経済混乱というものは必然になるのではないかという感じを持ったわけです。
ですから、政治・社会システムが古いということから生じる経済困難ということは、新しいバラダイムヘ移行するためのコストとあきらめるべきなのか、それとも、こういうものに対する対応というのは何かもっとあるのか、その辺について、皆さんのご意見をお聞きしたいと思います。
○司会 この点に関しまして、どなたかご発言いただけますでしょうか。痛みを伴うものであっても、如何にしてバラダイム・シフトに取り組むか、ということではないかと思いますが、いかがでしょうか。ウォーリーさんどうぞ。
○ウォーリー 質問を誤解しているかもしれませんので、私の答えが直接的な答えになっていなかったら恐縮です。グローバライゼーション自体とグローバライゼーションがもたらすものの大きな衝突、そしてまた、伝統的な社会・政治的なパターンとの衝突というのは、