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3 歴史

(1) オランダ進出以前

現在のインドネシアの地域に国家が出現するのは5世紀頃と言われている。ヒンドゥー教と仏教というインド文化の影響を強く受けた国々が、マラッカ海峡からジャワにかけて存在していた。その代表的なものとして、7世紀から8世紀にかけてスマトラからマレー半島を支配下とし、マラッカ海峡の交易を支配して栄えたシュリーヴィジャヤ帝国、13世紀から16世紀にかけてジャワを中心に栄えたヒンドゥー王国であるマジャパヒト王国があげられよう。

15世紀にマラッカ王国がイスラム教を取り入れると、世界的な交易の活性化を背景に、スマトラ、ジャワ、スラウェシにイスラム交易国家が発展した。マレー語が、これらの地域に広まるのもこの時期である。

(2) オランダの覇権

1602年に東インド会社を設立したオランダは、1619年にジャカルタ、1641年にマラッカ、1667年にマカッサルを手にいれ、この地の覇権を確立する。その後18世紀後半から19世紀前半にかけて、オランダはその海外植民地の大部分をイギリスに一時委譲したものの、インドネシアの領土についてはその回復に成功し、1824年にはロンドン条約によりマラッカをイギリスに譲り渡す一方で、スマトラを勢力圏においた。

(3) 日本の占領と独立

1942年3月にオランダを全面降伏させた日本は、45年8月15日までの間インドネシアを統治した。当初、日本はインドネシアの永久確保を狙っていたといわれるが、戦況の悪化と共に民心の離反を防ぐべく44年9月にインドネシアに独立を与えると発表した。45年3月からは、日本の指導下で独立の準備が進められ、日本降伏後の8月17日、スカルノは独立宣言を発表する。

(4) スカルノ時代

独立宣言後、直ちに憲法(45年憲法)が制定され、スカルノが大統領に選出された。連合軍の上陸により、各地でインドネシア軍とオランダ軍との武力衝突が起きたが、49年12月ハーグ円卓会議によってインドネシア連邦共和国が誕生し、翌50年には新憲法制定によりインドネシア共和国となった。

スカルノ時代のインドネシアは、55年にバンドンにて開催されたアジア・アフリカ会議を成功させるなど外交面で華々しい成果を挙げた反面、国内的には経済政策でつまずき、政治は混乱を極めた。危機的状況の下で、スカルノは59年7月、45年憲法への復帰を宣言し、大統領に権限を集中させるとともに、外交的には反帝国主義路線をとり中国への接近を強め、65年には国連を脱退した。

 

 

 

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