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このオペラではまた、作曲者の分身であり、その哲学の代弁者でもある森番が、自分が捕らえて逃げられ、密猟者をからかうのが度が過ぎてその凶弾に倒れた女狐ビストロゥシュカの生涯とそれを取り巻く自然界の営みからいろいろなことを学びとり、人間として成長を遂げる。また、仏教のほうで輪廻と呼んでいる生命の果てしない交代を自然界の律として受け入れることによって、悟りの境地にも到達する。そして、いつまでも人間の煩悩から抜け出せないでいる校長や神父との間に差をつけてゆくのが後半の見どころのひとつになってゆく。

演劇的に見るとこのオペラは、このもう一つ前のオペラ「カーチャ・カバノヴァー」では、封建的なものへの批判と縦糸・横糸の関係をなしながら見られた作曲者のこの世の不思議や人間の宿命の追究がますます深められ、一応の結論にたどりついているのが注目される。縫いぐるみがたくさん登場したりするので、チェコでは子供たちにも非常に人気があり、よく子供たちが学校の先生に引率されてこのオペラのマチネーを見に来るけれども、そういう子供向きの見せかけの内側にある大人向きの内容もまた豊富な作品である。

ヤナーチェクのオペラは、大別すれば第3作で、ブルノでの彼の出世作となった「イェヌーファ」、第6作「カーチャ・カバノヴァー」、そして最後のオペラとなった「死者の家から」のように、音楽劇独特のリアリズムを追究した系統のものと、象徴劇ないしは風刺劇の系統のものとに分けられる。「利口な女狐の物語」は後者の最高峰であるだけに、その台本にもシンボリックな役柄が目立つ。音楽的にも、森と月明かり、日ざしなどの雰囲気のほのめかしが目について、作曲技巧的には全音音階の使用など、印象主義的にも傾いている。

こうした音楽による雰囲気のほのめかしは、各幕の前奏曲・間奏曲などでもみごとな効果をあげてゆくが、なかでも第2幕の最後の場でヒロインの女狐が雄狐と結ばれるところの昇華されたエロティシズムの音楽的表現の美しさは、彼らを祝福する森の動物たちと森そのものをも象徴する鐘を模したような動機に基づく祝い歌の大合唱とともに忘れ難い。

このオペラではまた、第1幕の冒頭から森の動物たちの踊りやパントマイムがワルツ、ポルカなど、いろいろなリズムに乗って行われ、多彩で活気にとんだリズムの要素も聴きものになっている。複数の異なるリズムを組み合わせたポリリズムの効果的な使用もこのオペラの特徴の一つに挙げられよう。

子狐ビストロウシュ力がはじめて登場してきて「ママ!ママ!」と言うところにも、調性感をぼかしたワルツの音楽が伴い、そこに見られるひよわな子狐を思わせる旋律がその後変形されたり、変形したものと原形とが組み合わされて出たり、いろいろに扱われていく。こうしたやり方で全曲の統一を図るライトモチーフ的な動機がこのオペラにはもう2、3出てくるが、それらはいずれも女狐ビストロウシュカに振り当てられている。芝居としての展開も、大詰め近くまでこの女狐の役が中心となり、輪廻とエロスのシンボルにもなってゆくことを思えばそれも当たり前かも知れない。なお、このオペラの原題を直訳すれば「女狐ビストロウシュカに起こったことども」となる。ビストロウシュカは「鋭い」とか「さとい」とかいう意味の形容詞と、耳または耳の形をしたものを指す名詞の縮小形とを合成して作り上げた語で、強いて訳せば「早耳ちゃん」といったところであろうか。

(さがわよしお。日本チェコ協会会長)

 

 

 

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