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東響と「利口な女狐の物語」

〜その見どころ、聴きどころ

佐川吉男

 

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東京交響楽団を指揮するスメターチェク(1961年)

 

ヤナーチェクのオペラ「利口な女狐の物語」の日本初演は、1977年11月8日、大阪厚生年金大ホールで関西二期会が行った。作曲者の没後50年にあたる翌年の11月28日には、日生劇場で二期会が東京初演を行っている。どちらも訳詞上演であった。

しかし、一部なりともこのオペラの音楽が、日本の演奏会場で最初に鳴り響いたのは、それよりさらに10数年昔にさかのぼる。1961年3月10日、日比谷公会堂で行われた東京交響楽団の第113回定期演奏会がそれであった。チェコの名指揮者ヴァーツラフ・スメターチェクを客演指揮に迎えて行われたこの定期で「利口な女狐の物語」の組曲が初演されたのである。プログラムの曲目解説を頼まれた私が、当時のチェコスロヴァキア大使館が行ったスメターチェク氏歓迎のレセプションに赴いて、氏から直接手渡しでそのスコアをお借りし、宝物を抱えるようにしてタクシーで持ち帰ったのを思い出す。そのときが初来日のスメターチェクは、前の月から日本に滞在中で、2月定期も指揮して、その曲目の最後におかれたドヴォルザークの第8交響曲の出来がすばらしくて、鳴り止まぬ拍手に応えて、第3楽章をもう一度繰り返して演奏したほどだった。そのようなすばらしい演奏をきかせてくれた指揮者から駆け出しの私が貴重な楽譜を手渡しされて、感激したものである。

「利口な女狐の物語」の組曲は2種類ある。一つはチェコ・フィル育ての親として名高い名指揮者ヴァーツラフ・ターリッヒの編曲になるもので、第1幕冒頭の真夏の午後の森のなかの音楽に始まって、2部からなっている演奏時間約20分ほどの曲。普通「利口な女狐の物語」の組曲といえばこれを指す。もう一つは、ヤナーチェクが第2の故郷としたブルノの楽壇の大立者の指揮者、フランチシェク・イーレクが編曲し直したもう少し短い単一楽章の組曲で、こちらはターリッヒが第2部の冒頭に回していた第1幕の第1場と第2場をつなぐ間奏の曲で始めていた。スメターチェクが取り上げたのはターリッヒ編のほうであったが、未出版だったので、スメターチェク氏がターリッヒから手書きのスコアを借りて、ご自分で写譜されたものだった。

スメターチェクはその後も来日を重ねて日本にも多くのファンを持つようになり、1986年に80年の生涯を終えたが、その初来日に際して組曲の日本初演を行った東響が、36年後の今、チェコから演出家と6人の歌手を招いて、音楽監督・常任指揮者秋山の指揮で、このオペラの原語による日本初演に挑戦する。私としては感慨無量である。

1924年にブルノで初演されたこのオペラは、ヤナーチェクの9つあるオペラのうちの7番目のもので、当時としては、きわめてユニークな作品であった。まず森の動物たちを演じるソリストやコーラスのメンバーにしばしばミュージカル役者のように歌えて踊りも出来る人々を要求していた。次に準主役のうちの3人までも人間の役と動物の役を一人三役で演じ、さらに脇役の一人は、人間社会の家畜(おんどり)の役と森の動物の世界での鳥(かけす)の役を兼ねるソプラノになっている。この点は、ヤナーチェクがオペラ映画とか、テレビのためのミュージカルとか、何か未来の劇芸術のメディアをおぼろげながらも予測して台本を書き、また、作曲もしたのではないかと思わせる。女狐に巣を横取りされるあなぐまと、女性問題でスキャンダルを起こして村にいたたまれなくなる神父との一人二役など、たしかにユーモラスでしかもペーソス漂う登場人物の戯画化に役立っていた。

 

 

 

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