李嘉
リー・チャ
監督
1923年中国福建省生まれ。廈門大学歴史学科卒業後、記者となる。1947年台湾に移り、51年農業教育電影公司(現・中央電影公司)に入社。56年に台湾語映画『補破網』で監督デビューする。以降は北京語映画を監督。『我女若蘭』(67)は第5回金馬獎で最優秀作品賞ほか、数部門で受賞。73年『大摩天嶺』では20回アジア太平洋映画祭最優秀監督賞受賞。『黒夜到黎明』(63)、『海辺の女たち』(63、李行と共同監督)、『還我河山』(66、白景瑞、李行と共同監督)などの北京語映画を監督した。94年死去。
李行 リー・シン
我らの隣人(P32)を参照
解説
李行(リー・シン)と李嘉(リー・チャ)の共同監督作品で、同じく李行の『あひるを飼う家』(65)と並んで1960年代台湾映画を代表する“健康写実主義路線”のひとつ。この“健康写実主義路線”の“健康”とは、政府の政策の支持、伝統的モラルの顕揚、登場人物の健康な身体、という3つを柱としている。つまり、政府の農業政策や漁業政策を物語の背景に巧みに織り込みながら、主人公の健康な若者が伝統的なモラルに則って明るい未来に向かっていくというもの。ここでは、政府推奨の牡蠣の養殖事業を背景に、健康で明るい若者たちが伝統的なモラルと隣人愛のなかで困難を乗り越えて幸せをつかむまでを、メロドラマとしてのエンターテインメント作品に仕上げている。物語としては「ファニーとマリウス」を思わせながらも、映像的にはとくに牡蠣の養殖場のシーンなどイタリア・ネオリアリスモの影響が感じられる。なおこれは台湾映画最初のカラー・シネマスコープ作品である。
物語
ある漁村では政府の推奨で牡蠣の養殖を行い、村の娘たちの多くが養殖事業に従事している。そんな娘たちのひとりに明るく健康な娘ランがいる。仕事場で人気者のランは漁船員の恋人チン・シュイとの将来を夢見ているが、そんな彼女がチンの子供を身ごもってしまう。チンはランの父親に彼女との結婚を申し込みに行くが、事情を知らない大酒飲みの父親は高額の結納金を要求し、そのためチンはお金を貯めるため遠洋漁業に志願する。彼の留守の間、ランに横恋慕する不良青年が彼女に言い寄るが、この不良青年を好きな娘が嫉妬のあまり養殖場でランに喧嘩を売った挙げ句、彼女の妊娠を村人たちに言いふらしたから大変。古いモラルに凝り固まった父親や村人たちに白い目で見られ、隣村にかくまってもらうラン。やがて牡蠣の養殖が豊漁とわかり、村をあげて喜びに湧くころ、ランは難産の末に男の子を出産する。そこにチンが遠洋航海から無事に戻り、恋人たちは晴れて一緒になる。
(村山)