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社会全体からの影響か、映画文化の側面にも新しい局面が現われた点が挙げられる。合法非合法を問わず大量のビデオが街の隅々まで行き渡り、そのため映画の観客動員数が深刻な影響を受けたが、一方では新しい世代の映画観客層の視野が広まったことも事実である。過度に形式化したハリウッド商業映画に慣れ親しんだ観客はビデオや後発の有線ケーブルのテレビチャンネルによる各国の映画放送を通して、さらに多元的な映像文化鑑賞の視点を持つようになった。また欧米の映画批評の影響で、社会への強い関心や理論的な研究批評の方向も次第に文化の深層にまで影響を及ぼし、映画は強烈な時代意識を持つべきだと人々は考えるようになり、もっと多くの国の様々な種類の作品の輸入を要望するようになった。金馬奬国際映画祭の開催や映画資料館の各種芸術映画の鑑賞活動も国内の観客の芸術文化映画への新しい期待を育んだと言えよう。もしこうした映像文化の構造的変化がなければ、ニューウェーヴが台湾の文化の中で支持者を見つけることや代弁者としての意義を見い出すことは容易ではなかったのである。

 

歴史と生活というテーマ、そして写真美学

 

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まさしくこの理由によるためか、台湾ニューウェーヴの大部分はヒューマニズムの視点を採り入れたことで、こうした経験を厳粛に重厚に描くことになり、とくに特徴的なことは映画のなかの人物のほとんどが英雄ではない平凡な人物である点で、なかには社会的な弱者や被害者のことさえある。李祐寧『老兵の春』(84)の老兵、『坊やの人形』のサンドイッチマン、『少年』『ある女の一生』『嫁ぐ日』の平凡な家庭の主婦、『國四英雄傳』(85)の試験勉強に苦しめられる中高生、『超級市民』(85)の都会の片隅に生きる貧窮家庭、さらに楊徳昌が描く経済の嵐が吹き狂うなかの現代社会の孤独と挫折、また侯孝賢が描く政治社会の変動するなかでひっそりと消え去る主人公の生命と夢も挙げないわけにはいかない。台湾ニューウェーヴには歴史的時間・空間に生きた民衆の悲しみがあふれているのは疑う余地がなく、この角度から見ると台湾ニューウェーヴがつねに深い同情とヒューマニズムを根底にした映画製作がされており、歴史のなかの平凡で弱い立場の小人物の憂いや痛みの映像化が待たれていたこともうなずける。

しかし幸運なことは、台湾ニューウェーヴはこうした哀れむべき物語を描いてきたと同時に、朴訥で客観的な写実手法と美学を作りだし、こうした感情に溺れた作品に陥っていないことが挙げられる。『光陰的故事』から始まって、新人監督は習いたての手法で現実の情景を処理した。新人監督たちの技術はあるいは雑で未熟であったが、真面目な朴訥なスタイルを作り出した。ロングショッ

 

 

 

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