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配の過酷さを告発しているが、主人公の学校時代の日本人教師などは危険をおかして憲兵の追求から彼らをかくまってくれるといったエピソードなどもあり、日本人には嫌な奴もいたが良い人もいたという扱いになっている。これはだいたいにおいて台湾の本省人(国民党が本土から来る以前からの台湾人)たちの日本人観を示しているようである。

 

4 中国映画としての台湾映画

 

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胡金銓も李翰祥も本土出身の人であり、青年時代まで本土で教育を受け、革命を逃れて香港に行き、そこで映画人になった人々であって、中国的教養人ではあるが台湾の現実を生きてきたわけではない。だから彼らの映画は台湾で作られてもほぼ中国本土を舞台にして中国の昔の物語を展開する中国映画だった。同じような経歴の宋存寿という監督に、初期の台湾映画の名作のひとつである『破曉時分』(66)という見事に形式のととのった作品があるが、これなども清朝末期の本土の物語である。金持ちの息子がワイロを使ってやっと役所に就職するが、最初に与えられた仕事が裁判で容疑者を拷問するというもので、気の弱い彼は肝をつぶして止めてしまうのである。拷問は夜中に行なわれ、終わるのは<破曉時分>になる。その時間経過とドラマの進行が整然としていて、この映画は非常にすぐれているが台湾独自のものはまだここには現われていない。もっとも、社会主義路線に転じた中国共産党の映画を中国的伝統からの逸脱と見る国民党の文化政策の立場から見れば、台湾と香港に受け継がれた中国的な映画こそは中国映画の正統という評価になる。だから台湾の映画祭として知られている金馬奬映画祭は、非社会主義中国の映画祭として1996年まで香港映画をひっくるめて行われてきたのである。

そういう密接な関係が台湾と香港の間にはあったために、香港のプロデュサーの極端な商業主義と対立した香港の監督が台湾に来て映画を作るということもあり、李翰祥の『冬暖』という心温まるやさしい庶民映画の秀作などはこうして生まれたもののようだ。ただ残念なことに『破曉時分』も『冬暖』ももうネガが失われてしまっているそうで、ニュー・プリントを日本に持ってきてお見せするというわけにはゆかない。電影資料館でビデオを見られるだけである。

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