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1940年代に台湾にもどって台湾総督府の下で台湾の小学生や山岳民族のための教材映画や教育映画を作り、学校その他で巡回上映もやっていた。そして一般の映画館では台湾の映画ではなく日本映画と上海で作られていた中国映画が輸入上映されていたのである。日本映画は日本語のままで吹替えや字幕はなし。日本映画を楽しみたければ日本語をもっと勉強すべし、というのが日本の総督府の皇民化(台湾人の日本人化)政策による方針だった。上海の映画も北京語だから台湾人にはよく分からない。こうして太平洋戦争で日本が敗退するまで台湾人は台湾語による映画というものを見ることはなかったのである。

日本の支配を脱してから11年後に、台湾には台湾語映画のブームが起こる。その皮きりになったのは前記の何基明による中国の昔の物語の台湾語による映画化であり、本土の中国人が台湾語でセリフを言うというのは本来おかしいのだが、はじめて台湾語による映画を見ることができるということと、しかも本来自分たちが帰属しているはずであるところの中国古典の物語であるということとが相まって熱狂をひきおこし、大ヒットになったものだという。他にも、戦前に東京新宿のムーラン・ルージュで脚本を書いていたり、東宝撮影所で助監督もやったことがある林博秋などが会社を起し、台湾語映画はブームとなった。

しかし、せまい市場に粗製濫造になって間もなくブームはおさまり、またしばらくして復活するという現象が何度も繰り返されている。中国復帰後、中国政府は北京語教育を強力に押し進めた。映画においても、とくに1950年に本土で中国共産党に敗北した国民党政府が台湾に移ってきてからは、まもなく国民党立の撮影所として中央電影という会社を発足させてここを北京語による映画製作の拠点とした。これに国家的な財政援助と税制面での保護政策を与えたのである。しかし、当初はまだ北京語で映画を楽しめる観客は少なかったので、台湾語映画は税制などで北京語映画に差別されてB級映画の枠内に押しとどめられていたにもかかわらず、群小プロダクションの興亡が相次ぎ、何度もブームを起すほど繁盛したのである。そして北京語教育が普及した今日においては、もう台湾語映画というのは存在していない。ただし、1980年代以降、いわゆる北京語映画も、台湾語で喋らなければおかしい場面では台湾語を話し、北京語でいい場面はそうするというふうに柔軟に使い分けるようになり、この面で映画としてリアリズムが格段に深まった。そしてこの点で侯孝賢や彼の世代の新しい映画作家たちの果たした役割りは大きい。それまでの北京語映画というのは、とうてい北京語を話せるはずのない下層の民衆までが北京語で喋るという不自然なものだったのである。他方、台湾語映画では本土における昔の中国の物語までが台湾語で演じられていた。

台北の国家電影資料館に保存されている映画の中には多数の1950年代、60年代の台湾語映画があるが、メロドラマあり、時代劇あり、スパイ・アクションものあり、植民地時代を扱ったものありで題材的にはじつに多彩である。娯楽映画の広範な分野をほぼカバーしていたと言っていいのではあるまいか。ただ、見ることができた範囲で言えば技術的にあまり高くない。なかにはかなり幼稚な水準の作品も含まれている。国策による北京語映画の推進は、下層の民衆が北京語を話すという不自然さをともないながらも、作品としての規模や技術面で台湾映画の水準を格段に高めることになったように思われる。

台湾語映画でひとつ気づいたことを言えば、日本映画の影響が非常に大きかったことである。戦前の日本映画の大ヒット歌謡メロドラマ『愛染かつら』をそっくり焼き直した作品などもあり、主題歌もそっくり台湾語にして歌っているばかりか、主人公たちの名前までもとの作品を模している。他にも全体に、中国映画ふうというよりは昔の日本映画ふうという感触が強い。呉念真監督の自伝的映画『多桑/父さん』(94)に子どもの頃父親に連れられて日本映画『君の名は』を映画館に見にいく場面があったし、王童監督の自伝的作品の『赤い柿』には台北の映画館に稲垣浩監督、三船敏郎主演の『宮本武蔵』の大きな看板が出ていて少年が武蔵の剣法を論じている。じじつ1972年の日中国交回復への報復として台湾で日本映画の輸入が禁止になるまで、日本映画は台湾では人気があった。ただしそれから10年後にこの禁止が解かれたとき、最初の1、2本はヒットしたが以後はもう、かつてのようには日本映画は歓迎されるものではなくなっていた。

台湾語映画で比較的良い出来だと思ったものに1965年の梁哲夫監督の『君を送る心綿綿』がある。日本の植民地だった太平洋戦争末期に学校の教師をしていた台湾人青年が、日本の警察に思想傾向を疑われて軍隊に召集され、面会にきた恋人と一緒に兵営から脱走して逃げまわるがやはり逮捕され、前線に送られ、恋人は彼の帰りを待つ、というメロドラマである。日本の植民地支

 

 

 

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