5 国策性
1997年の香港映画祭では香港映画の回顧上映があり、その初期の佳作のひとつとして1956年の易文監督の『関山行』が上映されたが、これは香港の映画人たちが開設早々の台北の中央電影に出向して作った作品である。台北を出発した一台のバスが山の中で台風で立往生を余儀なくされ、乗客は山の宿屋で一夜を明かすが、乗客のなかには会社の金を持ち逃げしている闇金融の社長もいたりして、さまざまな人物の葛藤がくりひろげられる、というもので、ジョン・フォードの『駅馬車』から活劇ぬきでシチュエーションを借りたような内容であり、まあまあ良く出来ている娯楽映画である。国営と言っていい中央電影の作品だからといってとくに国策的なテーマがあるわけではない。しかし強いて深読みすれば、一台のバスに乗り合わせた互いに知らない人が、危機的な情況で協力し合わないわけにはゆかなくなるというあたりに、本省人と外省人との対立という問題をかかえている台湾の事情に対するメッセージ性があったかもしれない。台風で通れなくなった道路をみんなで力を合わせて修復するといった場面がやたら明朗に撮られているというところなどで、そうかもしれないと思うのである。
私の見た範囲では、台湾語映画にはセンチメンタルなメロドラマが多かったと思うのだが、それはまだ貧しく苦難の時代だった台湾の民衆の文化としては当然のことだったと思う。これに対して中央電影は、反共宣伝や比較的親日的な面もある本省人に侵略者としての日本を見直させること、さらには国民に目標を与えて元気づけるという政策的使命を負っていた。そこで作られたのが各種の反共映画であり、国民党を抗日戦争のヒーローとして讃える愛国心昂揚の抗日映画である。1950年代に国民党が大陸反攻を叫んで軍事力を誇示していたことは『超級大国民』の回想シーンの当時のニュース映画などにもよく出ていることである。とはいえ、政治的プロパガンダだけでは観客はついてこないことは彼らもわきまえていたから、他に多くの普通の娯楽作品も作っている。メロドラマ、時代劇、ホームドラマ、怪奇もの、なんでもありである。なかには芸術的に質の高い作品もあった。しかし反共映画はとくに力をこめて作られていたはずであり、なかなかの大作もある。
反共映画の代表的な作品としては1980年、自景瑞監督の『皇天后士』をあげることができるだろう。文化大革命中の中国本土を毛沢東皇帝と江青皇后の支配する恐るべき土地として描き、文革がセクト間の武闘に到る様相を大規模な群衆劇としている。
王童監督も反共映画はよく作った。1981年の『もしも私が本物だったら』は、文革中に文革派の連中を巧みにだましていいめをするペテン師の話で、上出来の諷刺喜劇である。1982年には『苦恋』を作るが、これは当時やはり文革の実体を暴露して本土では映画化禁止になっていた中国のシナリオ作家白樺の評判のシナリオを映画化したものである。社会主義に忠実だった知識人の主人公が、次第にその実際に疑問を抱くようになってゆく過程を扱っている。
一時期にこうして反共映画は盛んに作られたが、今日ではあまり見られない。台湾人としては経済成長と民主化の成果に自信がついて、そう反共反共と叫ぶ必要もなくなったのであろう。
抗日映画で有名な作品としては、まず1975年の劉家昌監督の『梅花』があげられる。これは日中戦争中の日本軍に対する中国人たちの抵抗を描いている。ある町の指導的な人たちが数名、橋の上に立って日本軍の大部隊が行進してくるのに毅然として立ちふさがる。日本軍は行進を止めず、彼らを斬って橋から落とし、そのまま橋を渡る。梅の花は中国の国花であり、この梅の花の厳しい美しさを讃えた主題歌が、この犠牲者たちの遺体をのみ込んで流れてゆく川の水の上にかぶさるといった場面が、抗日の英雄たちの愛国精神を大いに盛りあげている。旧日本軍の残酷さを描いた作品では1993年の周騰監督の『皇金稲田』もなかなか猛烈な描写のある力作である。