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『赤い柿』では子どもが10人もいる大家族が日本家屋に住んでいる。子どもたちの常として彼らは家の中であってもいつも集団的にどさどさ駆けまわるが、障子や襖で簡単に部屋の仕切りが外れる日本家屋だからこそ、大勢でがやがや動きまわる様子を大きく全体的にとらえることも可能だし、他方、畳の上では肩を寄せ合うようにして座ることもできるから、大勢がぴったり身を寄せ合って無意識のうちに家族の結束を固めるということも、理念ぬきでまさにスキンシップそのものの次元で表現できる。そんな、日本人がいわば当り前のこととして日本映画では無意識のうちに見過ごしていることが、台湾映画では、異民族による日本文化の利用であるために、その利用の上手さが、改めてくっきり、意識されるものとして見えてくるのである。

さらに言えば小学校の校舎。校舎と運動場があって毎朝運動場では生徒が整列して朝礼という行事がある。こういう形式が日本独特のものなのかどうか、世界中の学校を知っているわけではないから断定的には言えないが、少なくとも映画で見るかぎり、日本と同じようなやり方でそれを見せてくれるのは台湾映画である。そしてそれがいくつか印象に深い場面になっている。たとえば『村と爆弾』では朝礼で先生が生徒に鉄の供出についての演説をすることが、不発弾を町まで運んでほうびを貰おうというこの奇抜な物語の発端になるし、そこではまた村民たちの防空演習などの社会訓練も行なわれていて、校長先生が村の婦人たちに演説して、「アメリカ人のナニは大きいから…」といったおかしなことを言うことにもなる。『赤い柿』ではこの朝礼で、本土からやってきた将軍の一家の子どもたちが転校してきた最初の日にみんなの前で軍隊式の行進をやって笑いものにされる。まあなんでもない日常習慣のひとコマと言ってしまえばそれまでたが、外国映画で日本独自の習慣を見るとひときわ新鮮な印象が生じ、日本のこの習慣が学校制度を軍隊教育の予備的な役割りと位置づけ、また社会教育の場ともした明治の学校制度創設者たちのねらいなども改めて思い起こすことができる。そういえば『赤い柿』には小学校の運動会の場面もあったと思うが、子どもたちと父兄が一緒に愉しむ村の父兄親睦に小学校の運動会が重要な役割を果たすというのも日本と台湾の共有する良い習慣だと思われる。

ただし、小学校のあり方など日本と台湾が全く共通していると考えてはならない。『熱帯魚』で小学生が先生から体罰をくらう場面があるが、生徒は両方の掌を上にむけて差し出し、先生は物差しかなにかでこれを叩く。これは1940年代の上海の中国映画『哀楽中年』などでも見られた中国式であって、学校教育は多分に本土と共通するやり方らしいということの一端がそこで分かる。かなり痛そうだが、拳骨で頭を殴るという日本式とは違って体罰が人格の侮辱にはならないように配慮されていることに注目すべきである。頭という部分は人格のシンボルであるからこそ日本の教育は体罰でそこを殴って人格的にも生徒を屈服させようとするし、中国式ではそれを避ける。映画で分かる教訓だ。またどの作品だだったろうか、小学校の歴史の時間で、下関条約で日本が満国から奪った賠償金こそが日本の資本主義の飛躍のきっかけとなった、と教えている場面があった。日本の学校教育との違いは残虐行為などの戦争責任に関することにはとどまらない。

 

3 台湾語映画

 

本来は台湾は中国の一部でれっきとした中国文化圏の一環であるが、日本による支配を半世紀にわたって受けて日本の影響もあり、さらにその後、アメリカ軍の保護下でやはり半世紀近く自由主義圏に属して大陸から隔絶してもきたので、台湾の文化には大陸の中国文化とは微妙に違う独自性も生じている。中国的であることと台湾独自であることとの間の揺れ動きは台湾映画史を特徴づける重要な点である。

台湾では日本の植民地だった時代にも僅かだが映画の製作は行なわれていた。現存する作品としては1932年に日本人の千葉泰樹監督が当時台北にあった日本人経営の台湾映画社に行って作った『義人呉鳳』というのがある。かつて山岳少数民族にあった首刈りの習慣を止めさせるために、どうしてももういちど宗教的な理由で首刈りをやりたいという村人たちに自分の首を切らせ、その習慣を止めさせたという、呉鳳という代官みたいな立場の台湾の中国人の美談であり、戦前には日本の国語の教科書にも載っていた有名な話の映画化である。他に台湾人自身によって作られた劇映画もあり、また日本の十字屋映画部で教育映画の技術を身につけた何基明という人が、

 

 

 

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