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うという程度を超えた本格的な参加なので日本についての表現におかしなところはないし、そういう協力関係が容易に成り立つだけ、日本と台湾のつきあいは密接なのである。

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なお、この映画には出てこないが台湾に本土からの移民が入ってくる以前からいて漢民族によって山岳地帯に追いやられた南アジア系の原住民、いわゆる山岳民族は、いまでも部族を超えた共通語として日本語を使い、親日的傾向も残っている。かつて太平洋戦争末期に日本映画で清水宏監督、李香蘭主演の『サヨンの鐘』(42)という台湾融和政策の宣伝的な要素の濃い映画が台湾の山岳民族の村を舞台にして現地ロケで作られたことがあり、近年このプリントを入手した台湾の国家電影資料館(フィルム・アーカイプ)がその上映会をロケ撮影現地の村で行なったが、たいへん懐かしがられたそうである。そうしたじつに多様な対日感情がまざり合い、葛藤している場所の映画として、台湾映画は日本と日本人を外側から観察するうえで絶好のものである。

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2 台湾映画の中の日本的なもの

 

日本的なものは日本語以外にも多く見られる。ひとつは音楽で、『冬冬の夏休み』(84)の最後には日本の小学唱歌「赤とんぼ」が使われていてまるで日本映画を見ているような錯覚を生じさせられるし、『悲情城市』(89)では共産主義者という容疑で銃殺されてゆく知識人たちがさいごに口ずさむ歌は当時台湾で流行していた日本の古い歌謡曲の「幌馬車の歌」である。

さらに印象的なのは日本家屋がふんだんに出てくることであろう。『冬冬の夏休み』は台北の小学生が夏休みを田舎の祖父の家で過ごす話だが、この祖父は医者で、田舎のその家は、いまでは日本でも滅多に見られなくなった日本独特の町医者の小病院である。一見洋風だが和洋折衷で床はスリッパで歩く。その風情が本当に懐かしい。じつはこの建物は実際に医者をしている脚本家の朱天文の祖父の家なのだそうである。

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