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校でうっかり台湾語を喋った生徒たちが向かい合って殴り合わされているエピソードになる。植民地では日本語はこのようにして文字どおり住民に叩き込まれたのである。この回想でさすがに日本人たちはシュンとなる。

さて買春の一夜が明けて翌朝ご一行は駅のホームで列車を待つ。こういうときの日本人の常として話題はもっぱら<タベの戦果>であり、まことに楽しそうで声も大きくなる。すると主人公は本当に困った顔で日本人たちにこう頼む。「そういう話を人前でしないで下さい。中国人は人前でそんな話はしませんから。台湾には僕より日本語のよく分かる人がたくさんいるんですから」と。

そしてやってきた列車に一行は乗り込む。日本人の一行のうち、彼らが日本語でにぎやかに雑談をしていると、傍の席にいた台湾の青年が主人公に、日本人に聞きたいことがあるから通訳してほしいと話しかける。この青年は中国の古典文学を研究している学生で、その研究のために日本に行きたいのである。日本人たちの一行の傍若無人な下卑たお喋りにイライラしながら愛想笑いをしてつきあっていた主人公は、そこでせいいっぱいの反撃のイタズラを試みる。「この学生は日本の教科書問題について皆さんはどうお考えかと聞いています」と嘘の通訳をするのである。

日本人たちははじめてムキ出しの反撥を感してギョッとなる。そして「歴史の事実は正確でなければならない。南京大虐殺なんて幻だ」などと言い出す。主人公はそこで思わず激昂する。「われわれ中国人は日本の侵略を決して忘れませんよ!」と叫ぶ。一行の中の戦後世代の若いサラリーマンが2人、わりあい素直に、「そうだ俺たちは戦争に引き続いて経済侵略をやっているのかもしれん」と呟くように話し合うと、戦争経験者の先輩たちはいきり立って大東亜戦争肯定論を言いはじめる。なんだか険悪な成り行きに、質問した台湾人学生がオロオロして主人公に「私は何か悪い質問でもしたでしょうか」と重ねて問うと、主人公は「いや、なに、この方々はあなたに、日本に行けばなんとかなるというような事大主義は捨てるようにと忠告していらっしゃるのです。台湾でやれるだけのことをやるべきではないかと」。この嘘の通訳でこの映画の喜劇としての笑いは頂点に達するが、ここには同時に台湾の文化的自立についての決意が吐露されていて感動的である。原作者の黄春明は1970年代に盛り上がった台湾の郷土文学と呼ばれる傾向を代表する小説家であるが、これは中国文学の一支流にすぎなかったそれまでの台湾文学を、台湾独自の現代文学として、台湾人であることの意識を強く打ち出したことによって特徴づけられていた文学流派である。その意識、つまり台湾人としての誇りが屈折したユーモアをともなってここに要約されている。

鈴木明の「南京大虐殺のまぼろし」が大宅賞を受賞して、南京大虐殺などじつはなかったのだという論潮が広がり、それが中国はもちろんアジア諸国を刺激していた時期の話なのである。私などもなんとなく怒っているのは中国人で台湾人はまた別、みたいな意識を持っていたが、じつは台湾人にとって中国人こそは同胞であり、とくに南京大虐殺の当の被害者である当時の南京の国民党政府こそが太平洋戦争終結以後の台湾の統治者であることをうっかりしていたのだった。

この最後の激しい言い合いによって、それまで日本人の恥知らずな笑顔と台湾人の主人公の愛想笑いとによって隠されていた両者の矛盾はいっぺんに表面化し、もはや修復不能になる。しかし列車は次の駅に着き、突然の激昂に狐につままれたような顔のまま学生は下車しながら、「よいご忠告有う難うございます、再見」と言い、日本人たちも奇妙にシラケた顔で「さよなら」と言う。「さよなら」と「再見(ツァイチェン、さよなら)」の間の、どうにも埋まらない遥かな距離を示してこの物語は終わる。

この映画の喜劇性は、日本語の分かる人々が相当数いる社会に乗り込んでいった日本人が、日本語が分かるのは通訳などごく一部だと思い込んで不用意にしかも傍若無人に日本語を使いまくるところから生じている。その日本語で表現されるのは旅の恥はかき捨て式のホンネであり、外国人には隠しているはずのそれが彼らの耳にはよく聞こえているということのおかしさである。そしてそのおかしさの内側から、笑顔の中に隠されていた差別意識とそれに対する台湾の人々の積年の反撥がくっきりと露出してくる。日本語がこんなふうに日本人の意識のあり方を照らし出す手段として外側から客観的、批判的に使われた例がまたとあろうか。これは台湾映画ならではのことであり、日本人にとって大いに反省させられる映画である。なおこの作品では日本人役は金井大ほか日本人俳優たちによって演じられているし、日本人の出演部分を不自然なく表現するための演出補佐として大和屋竺がスタッフに加わっている。よくある素人の現地在留邦人が手伝

 

 

 

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