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PRODUCTION INFORMATION

MALAYSIA

ペナン・ダンス・ステーション(Penang Dance Station)

1992年12月、香港でダンス修業を終えた朱智寛、駱素琴が創立。ペナン随一の特色ある現代舞踏団。モダンダンスおよび舞踏の普及と教育を目指し、舞踏によって国の文化活動に貢献しようとしている。

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また第15回マレーシア全国ダンスフェスティバルへの参加をはじめ、94年から97年にかけてはクアラルンプール、漢城、香港国際ダンスフェスティバルヘ招聘されている。さらに94年には、表現技術の優秀さを認められてペナン上演芸術委員会の構成員となる。世界各地で上演を繰り返す一方、政府が推進する各種上演文化政策にも積極的に参与、州内に斬新な上演状況をつくりだす手助けもしている。

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DIRECTOR'S AND AUTHOR'S NOTE

この種の作品をいざ創作する段になって、まず自分自身が「ニョニャ」と「ババ」の文化にあまり精通していないことを思い知らされた。生まれ育った環境から、子供のころから私は「ニョニヤ」的な風味のある食事や菓子を喜んで食べていた。マレー的な表現をもった方言を口にしていた。母が家の中で着ているサロン姿も見慣れていた。これらはいずれも私にとってなんの不思議もない自然な行為、習慣であった。そしてある時「ババ」の末裔の一人の権威者を訪ねて、私もその一族の一員であると断言されたときは、途方にくれてしまった。私は「プラナカン」(これが「ニョニャ」と「ババ」の総称)のルーツを調べはじめた。自分の印象とはずいぶん食違いのあることを発見した。彼らは、単に中国人とマレー人との混血で生じた子孫だと今までずっと思っていた。

資料を調べていくうちに気づいたのは、「プラナカン」というものの解釈自体が人によってまちまちだということ。もの珍しい話として語る人がいるかとおもうと、自分と同じ一族だという感覚のまったく無い人もいる。マレーシアはいま国を挙げて2020年に向かって邁進している時であり、多くの「プラナカン」的な文化が消え去ろうとしている。すでに現代化されてしまったものもあり、「プラナカン」の子孫といってもその人の外面からはもうこの種族の背景を見つけることは不可能になっている。現代社会に流行している独身主義、環境保全主義、菜食主義、国家発展のための政策などの影響で、徐々にそれも知らぬうちに、「プラナカン」的色彩が消し去られてしまう。同じような高層ビルが次々と建てられる現在、一つの種族の文化を象徴するものがこのように誰にも知られずに単なる装飾品やコレクションの品となってしまっても、人々の生活にはなんの影響もありはしない。

今回、演劇とダンスという使い慣れた様式をもって作品にしてみた。いま正に消えようとしている生活文化の姿を、舞台上に再現できればと思っている。

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