できる施設でもあるのです。青年の家に来たから徹夜で議論ができたとかいうことの方がむしろ意味があるかもしれない。ねらいをどこに置くかによって違ってくるのですけれども,青年の家では非日常的な活動を重視したプログラムの方が効果的かもしれません。日常的であったら,その指導者がスターでは困るわけです。むしろきちっとした,地味に適切な指導ができる人でないといけないわけです。しかし,非日常的な場面が中心だったら,そこに来る人はどんどん入れかわってくるわけですから,むしろこの人から指導を受けたんだということの方がインパクトがあるわけです。それが実質的にどうであるかは別にしましても,やはりそれだけに評価されるわけです。評価されるためには,自分でどんなにできると言ってもだめなので,周りの人達からやっぱりあの人だからできるという評判が広がることがなければなりません。それは何とない雰囲気が作っていくものなのです。
だから,青年の家というのは非日常的な活動の場であるということを前提とするならば,そのスターのような人がいることは大事ですし,また,そのようなスターを育てていくという雰囲気を青年の家が持っても,決して悪いことではないと思います。むしろ事業に活気を与えていくという意味では非常に意義があります。
司会 おっしゃるとおりですね。そうしますと,そういう方を得るために学校教育の現場からだけ人をもらうのじゃなくて,それ以外の民間からもらうということも一つの方策としてあるんだろうし,それから3年ということではなくて,5年から10年その施設にいるというのもあると思うんですが。
角替 僕は,ある意味で言うと,所を渡り歩いてもいいと思うのですよ。引き抜きということだって考えられるわけです。
砂賀 先生がおっしゃられた養成にもつながってくるのかもしれませんね。
角替 そうですね。ですから,学校教員から指導者が半分くらいいるということがいいかもしれない。だけど,後の半分ぐらいはやっぱり社会教育,あるいは青少年教育の専門家がいて,それぞれが得意の分野を持っていて,それがいろんなところで活躍して,それが5年なり,いろんなところを回りながらやっていくという,そういうことも……。
砂賀 それで昇格できればなおいいです。
司会 なるほど。5年から10年とおっしゃったのは,1つの施設でなくてもいいんですね。
中道 そうですね。社会教育に長くいていただくということですね。
「あそこに行けばあの人が……」
中道 これから青年の家に求められることとして,いわゆる学校教育の崩壊で,子どもの問題を受け入れるための地域の拠点として,公民館と同じようにならなきゃいけない。どなたで