だらこれをやってみなさいよということをやれば,もっともっと個性を伸ばしながら,その中で今のようなことが生まれると思うんです。
学校で教えてくれないことに注目を
角替 そうですね。例えば,学校で外国語を勉強するといえば,もう日本の学校ではみんな英語に決まっているんです。
タイでボランティア活動をしようとした場合でも,学校ではタイ語を教えてくれません。
砂賀 開講していないですものね。
角替 そういうのは青年の家なら組めます。今の若者って,意外に学校で全部教えてくれると思っているわけではない。ですから,その辺のことに注目することが大切ではないでしょうか。
砂賀 そうですね。意義が非常に大きいことですが,まだまだ,施設の方では積極的にそういう取り組みは弱い感じですね。
一例を申し上げますと,全青協の研修集会が国立淡路青年の家で開かれたときのことですが,「予算が減る,人が減る。ないない尽くしで十分な活動ができない」という青年の家の職員からの発言が非常に多く,これではだめだなと思いました。
意義があれば,行政側から経費などをあまりそう減らされることはないはずなのに,十分な役割を果たしていないのでそうなるということがあまり意識されていないと思います。もう少し前へ出るような発想で仕事に取り組むことが必要だと思いました。その際に「施設の意義を自ら語ったり,鼓舞しないといけない。嘆くばかりでは良くならない。」と助言しました。
地域コミュニティーの崩壊
前原 昔はそれぞれの地域というコミュニティーができていて,しっかりしていましたよね。ところが,今はそれが崩れていってしまって,例えば一つの祭りをしようとしても,本当にただ神輿を置いておいてちんちん鳴らしているだけで,お金を集めることしかやっていない。ところが,我々の育った頃は恵比寿講とかいうのがあって,ちょうど今頃になると恵比寿様を担いでいくんだけれども,それはみんな子どもに任されるんです。ですから,成人している者から小学校の低学年まで一緒になって,おまえはざる持て,おまえは何を持てといって,お金をもらって歩くわけですよ,各家を回ってね。
そういうものもどんどん学校が管理して,そういうところへ出るなとか,悪いことを覚えるからといって,子ども達の幅の広い社会をつぶしているということがあるわけです。じゃ,ここで今何をするか,どうしたらいいかといったら,やっぱり社会教育施設等が中心になって,そのコミュニティーをもう一回作り直さなくちゃいけないというふうに私は思っているんです。
今年の夏,中央青年の家で登山の計画がありましたよね。私は行きたいなと言ったら,行ってくればとうちのに言われたんです。たまたま私が中央青年の家に行ってそういうパンフレットを見ているからであって,どこで何をやっているかということは国民は知らないんですよね。だから,公共広告機構なんていうのを使いながら(笑)パッとテレビでやると,若者が集まるんじゃないかと思います。