ば全てが学べるかというと,そのようなことはあり得ないわけです。
また,学校での学習は,あくまでも典型的なものを学ぶことが基本になっていますが,それはあくまでも疑似的体験であるわけです。しかし,大人だけでなく,青少年も,疑似的な体験ではなく,直接に責任を問われる社会生活のなかの活動体験も必要です。まさに自分が生きていくためにどうしてもしなければならない完結した仕事,そういう活動が生活の中にはなければならないのであり,それらを一つ一つなし遂げていくことによって成長していくといえるのではないでしょうか。
学校の中でも特別活動等の面ではそのことを考えてはいるのですけれども,あくまでも一番基本的な部分が授業であると考えますと,疑似的な体験とならざるを得ません。授業はどうしても練習という面をもっています。学校では練習試合まではやるのですが,本当の試合はやっていないし,できない。本当の試合をやるところは,家庭とか地域社会なのです。そのための条件を作っていくということが現在では極めて必要になってきていると思うのです。
そのようなことからも,都市型にしても宿泊型にしても,青年の家の事業というのは,一般に完結性というんでしょうか,活動がそれ自体として完結し,その結果が評価されるものでなければならないと思います。そのためには,例えば,年齢の枠を超えた人の集まりも必要だろうし,他の集団とのかかわりも必要だろうし,活動(事業)を総合的なものとして組織したり,場面設定をしたりすることが必要になってきます。
中道 たしか,坂本昇一先生がおっしゃっていたと思いますが,「頭の教育は学校教育で,体と腹と手足の教育は学校外活動で行うことである」といわれています。昔から『よく学びよく遊び』ということがいわれていますが,よく学びは学校教育で,よく遊びは学校外活動と受けとめても結構なんですね。
角替 そうですね。やはり学校外活動というのは,ある意味でいうと仕事の内容が完結している部分があるわけです。
中道 そうですよね。
角替 例えば子ども達が家の仕事を手伝う。今はあまりありませんけれども,風呂焚きをするというのは,水を汲み,薪を割って火を燃し,お湯が沸くまでの一連の仕事です。その全部が子どもの仕事になります。それは風呂焚きとして完結した仕事です。学校の授業でやるのは,火のつけ方はどうするか,水の汲み方はどうするかということまでなのです。
砂賀 私も先生に近い考え方なんですが,子ども達,特に小学校,中学校ぐらいですと,学校との関係で申しますとサポート的な役割も強いと思うんですけれども,青年,特に高校生以上を対象として考えてみますと,学校教育の補完あるいはサポート的に役割を考えるのではなく,ある程度完結性を持った,施設としての特性を生かしたプログラムを実施する方がいいと思っております。