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このお店は、涼しげになっていて、旬の食材を食べますと、あれは体がちゃんと冷えるように、よく自然はできていますよね。また、そのような組み合わせをしているんです。

冬になりましてその部屋は、こんどは寒いんですよ。オーバーを脱いでくださいといって、オーバーをその部屋で脱げないぐらい寒いんです。白い息が出るんですよ。ちっと異常じゃないかというんですけれども、しかし、そのとき出てくるお料理を、例えばお吸い物1杯飲むと、腸まで熱くなるような、中に入っている旬の根菜とか、そういったものがやっぱり体を暖めてくれるんです。

今、こういうことを日本人はすっかり忘れていますね。いまさらこういったものを思い出して金をかけて果たしていいのかという問題もあるんですが、私は、食を通じましてもう1度思い起こしていただきたいと思うわけです。そして、ああ、こんなに進んでしまったことを再確認していただきたいわけです。そこで、あえてこれを申し上げているんです。

旬というのは、3つに分けています。出始めのやつを「走り」と言いますね。そして真っ盛りのやつを「盛り」と言いまして、そろそろ終わりだなというのを「名残」と言います。この「走り」と「盛り」と「名残り」の使い方を、料理をする人も、召し上がる方も、そして歌を読む方も忘れているんですね。日本というのは一生懸命経済成長のために走って走って走ってやってきましたけれども、ふっとした時に、日本のよさとか、日本らしさとか、そういったものを通じて何か見えてくるといいなと今感じているものですからこんなお話をするんです。

大体「走り」の素材は料理屋さんが使います。一番おいしくないときですね。高くてまずい。ところが、珍しいですから、お店で出すとお金を取れるんです。「盛り」のとき、これはものすごく美味しい時です。成分も4〜5倍濃厚ですし、体のためになる。生産者の人と話していました。1割多く盛りのものを出してくれれば、どんなにみんなが本当に幸福になるかという話をしましたら、1割多く出すと、値段を3割もたたかれてしまうそうです。だから、もったいない話ですが、間引きしちゃうんだそうです。このメカニズム、日本は変な経済メカニズムですよね。おいしいものを安く食べられるようにできていないんですよ。

そして、いよいよ「名残」なんていうと、何か終わりでもうだめという意味ではないんです。そういうときに使うんじゃなくて、「名残のユズ」とか、もう5月は青ユズです。黄ユズというのが3月くらいまで使われていまして、その最後の黄ユズを使うときに、「名残のユズでございます」なんていって出されると、黄ユズも最後なんだなあと節目を感じて、じんとくるんですね。ところが、今でも黄ユズはあるんですよね。色を変えちゃっているのが年中ありますよ。名残でございます。いつも名残なんですけれども、そういう使い勝手みたいな余裕でしょうか、こういったものが何か欲しいなと実は思っています。

皆さんが物を召し上がる。これはお昼はこれからなんでしょうかね、そうですよね。そのときに、ちょっと意識して召し上がっていただきたい方法があるんです。この舌というやつ、何で味覚があるんでしょうか。舌というか、味覚というのは何なんでしょうか。

味覚というのは生きるためのセンサーだと思うんですね。まず一番最初に、原始的な味覚というのが甘いものです。甘さというのはイコールエネルギーなんです。ですから、生命体が活動するときには、糖質、甘いものをとらなきゃ動けないんですね。たんぱく質をとってもだめです。それに脂肪をとってもすぐには動けないんです。まず一番大事なのは糖質ですから、甘さです。あっちの水は甘いぞ、こっちの水は苦いぞって、虫だって甘いのから行くんですね。

そして活動すると疲れます。その時は塩味と酸味が欲しくなるんですね。順番があるんですね。そして苦みというのは本来毒の検出なんですね。ですから、アルカロイド系のものというのはみんな苦みがあるわけです。春先に木の芽が出ますけれども、あれは、鳥とか虫がついばんではいけないから苦みを持っているという学者もいますね。それを人間は食らっちゃうんですね。毒も薬にしちゃいますから大したものだと思いますけれども、そういう意味で、舌はセンサーなんです。

 

 

 

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