る。そして精神病の場合には、長期入院の分裂病の患者に特徴的な、社会的引きこもりや感情の半板化、受け身的依存症といった症状が、精神病自体によるものというよりはむしろ、全制的施設における処遇によって引き起こされている可能性がある。この問題を実際に調査したウィングとブラウンはこの二つは論理的に言えば区別すべきだが、実際の現象としては区別することは不可能だと結論する。彼らは長期入院患者の臨床症状を「臨床的貧困」と呼び、全制的施設の社会的環境を「社会的貧困」と呼ぶ。すると、社会環境の貧困が臨床的な貧困と強く結びついており、それが患者の退院への無頓着な態度を形成し、長期入院とあいまって「施設症」を発展させるのである。つまり社会的貧困が強い施設においては、被収容者は「組織に完全に依存したり、外出することに無関心だったり、外の出来事にまったく関心を示さなかったり、課された仕事以外の活動をする能力がまったくなかったり、つまり、施設生活に身をまかせてしまう傾向が強い」のである。
こうして彼らはつぎのように結論づける。精神病院のように、いったん患者が入院したら、特に退院のチャンスが考えられないほどのものだとしたら、スタッフと他の患者の期待が絶対のものになる。さらに、患者が長く入院すればするほど、自分がもともと持っていた社会的役割や能力を使うことがなくなり、それは死滅してしまう。患者の病棟環境に対する抵抗力は、入院前の人間関係が希薄であればあるほど、また貧困・老齢・社会的地位の低さなどと相関して低くなっていくだろう。そして、臨床的貧困と病棟の雰囲気や文化とを区別することがむずかしいために、長期入院が臨床的貧困を作り出すのに大きな影響を与えていると考えられる。つまり、最初はずっと病院にいる意志もなかった患者がだんだん態度を変えてゆき、最後には病院を離れたがらなくなるという状態が出現する。
つまり、多くの人々を外の社会から隔離して、生活の全体をひとつの管理の下に置くという組織は、人が生きる権利を著しく侵していく。隔離収容型社会において全制的施設は、ある意味では、露骨な管理と監視を体現したものとして考えられるだろう。では世界はこの事態を静観してきたのだろうか?いやそうではない。現代日本の老人対策でスローガンとなっている「地域福祉」、つまりお年寄りを施設に収容するのではなく、在宅において支援しようという計画とは、イギリスの精神医療改革から始まったのである。この事実は、精神障害を含めた障害者問題をつねに後回しにしてきた日本では全く知られていない。しかし施設を解体して、できるだけふつうの生活に近づけようとする努力は1950年代から世界各地で見られるようになる。そして日本はその流れの中では最後尾の方に位置するのである。ここではイタリアにおいて精神病院をすべて廃止したバザーリアの試みを少し紹介することで、隔離収容型社会からどのようにして脱却していくのか考えてみたい。
?. 隔離収容型社会から「地域で共に生きる」社会へ
バザーリアは1961年から1969年まで北イタリアのユーゴスラビア国境に近いゴリツィア州立病院の院長に就任した。彼はそれまで精神病院の実態を知らなかったために、実際の精神病院を見て大きな衝撃を受けたという。彼はそれをマニコミオと名づけた。それは精神病を作り出していく小さな社会的環境という意味で、彼によれば「マニコミオとは大きな入れ物で、その中にはただそこに座り込んでいる人たちがいる。彼らはただ自分たちを捉まえて、彼らに合うとみなされた仕方で………つまり、分裂病者として、躁鬱病者として、ヒステリーとして………生活させられるのを待っているだけだ。彼らはもはや自分の体験を持つことができず、そしてついには物へと変えられてしまうのである。」「その四面に囲われた中においては、歴史の脈はもはや打つことをやめ、そこに収容されている個人の社会的アイデンティティは抑圧され、個人が精神医学によって与えられたレッテルと完全に一体化する過程がはじまる。」
バザーリアは、精神病院は刑務所とほとんどかわらない収容施設であり、医療というイデオロギーはそこでなされる心的・物理的暴力を合法化するためのアリバイにすぎないという。では医療というアリバイ