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できなかった者たちは、社会から隔離された施設で一生を送った。ここで「更正」ということばを「治癒」に、施設ということばを精神病院に置き換えて考えてみれば、どれほど身体障害者の置かれていた状況と精神障害者のそれとが類似したものかわかるだろう。

 

だが、こうした状況に抗議の声をあげたのは施設から出て「自立生活」を始めた重度身体障害者である。障害を持っているというだけでなぜふつうに生きることを否定されなければならないのか。差別と戦うことは、まず最初に障害を肯定することから始まる、と。障害を肯定し、障害とともに生きることを勇気をもって決断するとき、社会の常識と化した差別意識が逆にあらわになってくる。

 

私たちは障害を価値の低い、何か特殊で特別なものと考えてはこなかっただろうか。障害者に対する偏見をつきつめていけば、この「特殊化」という思考法が根底から現れる。障害者の「特殊化」こそ障害者を日常の生活から排除してきた原理である。ここから生まれる態度はこうである。目の前に障害を持ち、援助を必要とする人がいても、「やっかいなこと」だからできるだけ関わらないようにして、彼らの特殊な問題を扱う専門家や施設に任せてしまおう、と。これは「隔離・収容型」の社会を作り出していく。精神病院や身体障害者施設はずいぶん長い間、こうした社会の要請に答えてきたようだ。しかしその結果は、障害者の生きる場とそれ以外の者の生きる場とを分断し、健常者はふつうに障害者に接することができなくなってしまった。つまり、障害者を「特殊化」し「かわいそうだ」という憐れみを通して見ることしかできなくなったり、「子ども扱い」したり、性欲を持ったふつうの男性や女性であることを無視したり、あるいは逆に障害者の性格や行動を過度に讚えたり、等々。一言でいえば、障害者に対する偏見の固定化と強化を進めてきた。さらに「施設」はどんなものであれ、つぎの節で詳しく論じるように、施設入所者に対して単調で一元的な現実を押しつけ、さらには長期間にわたる入所によって、社会性や個性までも奪ってしまう危険性を持っている。

 

このようにして身体障害者の解放運動を振り返ってみていくと、私たちになじみ深い「隔離.収容型」の社会とは、専門家がしろうとを管理する徹底した管理=監視社会であることがわかる。つまり、たとえ問題を抱えた当事者であれ、あるいはその家族であっても、しろうとは専門的な問題に関わることはできないという理由で排除されてきた。そして隔離収容の場である施設では、被収容者は専門家に服従することが唯一の選択肢として残されている。これは、医療であれ、福祉であれ、専門的知識の優越性と、しろうとから隔離された場所での専門家による障害者の管理を保証してきたのである。ミッシェル・フーコーは福祉国家が私たちの日常のすみずみまでも管理するきゅうくつな社会であることを「生一権力」という概念で予言していた。(フーコー『性の歴史?:知への意志』新潮社)そして、さらに恐ろしいことに、福祉社会はきゅうくつなだけでなく、障害を持っているというだけで施設入所を強制したり、ひどい場合にはナチズムのように種の「優性」を保護するために「劣性」を抹殺する権力さえもつのである。

 

しかしながら私たちは障害者解放運動の中に「生一権力」とのねばり強い闘いをみることができる。一九九一年のアメリカ障害者法の成立は長年にわたるアメリカの障害者解放運動の成果である。この法が画期的なのは、障害を社会の責任として明確に唱っていることだ。つまり現代日本のように、障害を特殊なものと考えて、マイナスの価値を持って貶め、それを「更生」する努力を当事者自身や家族の責任にするという悪循環を断ち切ったのである。障害は特殊なものではない。それは誰でも持っているごくあたりまえのことだ。そうだとしたら、障害の責任を個人に負わせるのはまちがっている。障害をもっていても「ふつうに」暮らせる社会をつくることが国家の責務である。ここには発想の一八〇度の転換がある。障害を「特殊化」する道を拒否し、それによって障害をふつうのことにする「ノーマライゼーション」の選択がある。それは、専門家への服従ではなく、しろうとである市民のイニシアチブを再確認することにつながっていく。そしてこれは私たちの日常的態度の変革から生み出される道でもある。フーコーが言うように、隔離収容的な社会という全体的なものと、私たちの日常的態度という個別的なものはつねに同時に

 

 

 

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