2. 基調講演
「心の壁を乗り越えて」
山口県立大学社会福祉学部
助教授 山田 富秋
心の壁を取り除き、共に生きる社会を目指して
?. 精神病に対する誤解と偏見
現代日本において「精神病」に対する偏見ほど強固なものはないだろう。歴史をひもといてみても、精神病院が治療施設というよりはむしろ、治安維持的な隔離。収容施設として機能してきたことは明らかである。たとえば、ライシャワーアメリカ駐日大使が分裂病の青年によって刺傷された事件によって、精神病者の半強制的な入院を正当化する「精神衛生法」が成立したことは私たちの記憶に新しい。そして事実、日本の精神病院は1960年代後半から20年間のあいだに、うなぎのぼりに増設されていったのである。(石川信義『心病める人々』岩波新書、参照)ここから生まれた、精神障害者は何をするかわからないという偏見は、マスコミによっても流布されてきた。特にセンセーショナルなニュース性を売り物とする場合には、実際の出来事が誇張されて伝えられたり、ニュースの最後に精神病院への通院歴があったことをわざわざヒントとして付け加えたり、精神病に対するレッテルを固定化するのに一役買ってきたと言わざるをえない。そして精神病を危険視する態度は私たちの日常生活の中に固定していったのである。今や私たちは何ら実害をこうむっているわけでもないのに、精神病に対していたずらに恐怖心を抱いたり、万が一起こるかもしれない「未来の犯罪」に対して、被害者意識をむき出しにする。しかしながら、精神病者の犯罪率は一般の犯罪率の3分の1以下であることは良く知られた事実である。では「精神病は危険だ」という偏見を支えているものはいったいなんだろうか?
現在、精神病は医療から福祉の対象へとようやく変化しようとしている。それは精神病脱落というレッテルよりも受け入れやすいものになったように感じられる。しかし実態といえば、福祉という船が出航してしまわないうちに、その中の一員として乗り込めるかどうかといった状況にある。たとえば「社会復帰」という美名のもとに、全国各地で作業所を町の中につくる取り組みがなされている。するときまって反対運動が起こる。精神病者はこれまで人里離れた精神病院の中に「隔離」されていた。そこから町へでて一緒に暮らそうとすると「危険だ」「迷惑だ」といわんばかりの冷遇が待ち受けているのである。それは1960年代から現在まで脈々と培われた精神病に対する偏見に由来することはまちがいない。私たちは実際に精神病者あるいは精神障害者とじかに面と向かってつきあったことがなく、精神病者は日常から隔離された精神病院にいると信じている。こうして、私たちはマスコミやわが国の不幸な歴史によって作り出されたレッテルをそのまま信じ込むのである。
それでは私たちの最初の課題は何だろうか? それは、精神病あるいは精神障害に対する偏見の原因を明らかにし、それを打破することだろう。そして長い問「隔離」という差別を受けて、社会的に「弱者」にさせられてきた精神病者に人間としての正当な権利を保証する(エンパワーメント)あらゆる機会を実現することである。
?. 精神病に対する偏見からの解放
精神病あるいは精神障害について一般に抱かれているもっとも恐ろしい偏見は、精神病にかかったら一生治らないという偏見である。たとえば精神病の中でもっとも典型的と言われる分裂病をとりあげてみよ