ば、身近に仮設住宅が建設できたはずである。さらにいうと、住宅の構造さえしっかりしておれば、仮設の用地捜しに奔走する必要もなかったはずである。公園が少なく住宅が脆弱だというハードの問題が、仮設入居のトラブルというソフトの問題を引き起こしたことを、肝に銘じる必要がある。
ところで、この防災都市基盤の整備ということでは、過去の復興計画に学ぶ必要がある。関東大震災後の帝都復興計画では、公園緑地と広幅員街路の整備が積極的に目指され、当初の計画が大幅に縮小されたとはいえ、隅田公園や日比谷公園あるいは昭和通りなどが整備されて、東京の安全化に寄与している。都市の近代化と防災化を図りたいという熱き思いが、52本の幹線道路の整備と55カ所に及ぶ公園の整備を可能としたのである。初心忘れずというが、この帝都復興計画の計画思想をしっかりと現代に引き継ぐ必要があると思う。
ところで、ハード対策といっても防災インフラの整備だけではないとお菓子の「もなか」に皮もあれは餡もあるように、皮の部分としての街路の整備だけでなく、餡の部分としての街区の整備も必要なのである。帝都復興や戦災復興の反省点は、この街区の部分の整備が不十分であったということに尽きる。今回の地震で木造家屋が倒壊し、また市街地大火が発生したのは、まさにこの街区部分の耐震化や不燃化が不十分であったことによる、といってよい。今回の阪神間の復興計画で不満に思うことの一つは、地区レベルあるいは街区レベルでの防災計画の発想が、過去の教訓に学ぶことなく極めて貧困だということである。今からでも遅くはないので、不燃化や共同化にしっかり取り組んで欲しいと思う。
(2)都市計画のポジネガ化と防災アメニティの追求
都市計画では、課題としての防災性の向上と快適性や経済性などの向上との整合をはかることが要求される。今回の復興計画の議論のなかでも、「そこのけそこのけ防災が通るというのでは困る」という意見が多数だされた。防災という側面からだけ、一面的に都市を捉えてもらっては困る、というのである。
これに関していうと、「日常性のなかに非日常性を取り込む」という捉え方が大切である。緑地計画でいうと、まず日常利用のあり方からその配置や形態を考え、その後でその配置や形態を有効に活用するように非日常利用を考える、ということになる。今回の地震において、身近な公園や学校が有効に活用されたが、日常時に有用でなければ非日常時にも有用でない、という関係をそこにみることができる。日倍対策と非日常対策とはポジとネガの関係にあって、日常時にはお年寄りの憩いの空間として機能していた公園が、非日常時にはテント村や備蓄基地になるといった関係こそ大切なのである。